ケント(英語表記)Kent

翻訳|Kent

精選版 日本国語大辞典 「ケント」の意味・読み・例文・類語

ケント

(Kent)
[1] イギリスイングランド南東部の州。州都メードストン。野菜、果実の産が多く、「イングランドの庭園」といわれる。また、古くからの羊毛工業のほか、製紙・製鋼・精油などの工業も発達し、南端部には原子力発電所がある。
[2] 〘名〙 =ケントし(━紙)〔新らしい言葉の字引(1918)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「ケント」の意味・わかりやすい解説

ケント
Kent

イギリス,イングランド南東端にある州。中世のアングロ・サクソン七王国の一つ,ケント王国の支配領域を指す歴史的地方名でもあり,ケルト語で〈辺境〉を意味するcanto-に由来する。シェピー島などの島嶼を含めて面積3732km2,人口137万(2005)で,州都はメードストン。北はテムズ川エスチュアリー(三角江)に,南東はドーバー海峡に面し,大陸との接点をなす。州の中央部を白亜質のノース・ダウンズ丘陵が東西に走り,その両側にはメドウェー川,ストゥア川流域を中心に粘土層の低地が広がる。こうした肥沃な河谷では,やや大陸的な気候を利用して穀類栽培のほか,ホップ,リンゴ,野菜などの市場園芸が発達しており,また丘陵部やロムニー湿地は有数の牧羊地域となっている。沿岸漁業も盛んで,特にロチェスター付近のカキ養殖ローマ時代から有名である。地下資源では南部のウィールド丘陵の鉄鉱石が古代から,東部のケント炭田が20世紀になってから開発されている。このためかつては鉄鉱と木炭を利用した製鉄,フランドルから移住した職人による毛織物,またケント紙で知られる製紙などの工業が栄えていた。現在はテムズ川,メドウェー川河口部のグレーブゼンドチャタムなどに造船,機械,セメントを中心とする重工業が集中している。またグレーン島には大規模な精油所がある。

 大陸に近接するため,しばしばイギリスへの侵入路として利用され,前55年にはカエサルが,また5世紀中葉にはユート人が上陸してきた。中世のケント王国はカンタベリーを都として最も早く統一を完成し,6世紀後半のエセルバート王時代には最盛期を迎えて,キリスト教導入や法典の編纂が行われた。9世紀初めにはウェセックス王国の支配下に入るが,均分相続などの独特な社会制度,農地制度はその後も残存した。
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ケント
William Kent
生没年:1685ころ-1748

イギリスの古典主義建築家,画家,家具デザイナー,造園家。ローマで絵画の修業中出会ったパラディオ主義者バーリントン伯に連れられ,1719年帰国,以後協同して室内装飾と建築設計を始める。対称と比例,重厚な装飾を追求した独自の作風をホーカム・ホール(ノーフォーク,1734着工)やホース・ガーズ(ロンドン,1758)で展開。また造園の分野では,自然風庭園の創始者として知られ,その造園思想はL.ブラウン,H.レプトンへと引き継がれた。
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百科事典マイペディア 「ケント」の意味・わかりやすい解説

ケント

英国,イングランド南東端の州。中央部を東西にノース・ダウンズの丘陵が貫き,北側はロンドン盆地となっている。主都メードストン。肥沃な土壌に恵まれ,小麦のほか果樹・花卉(かき)・野菜栽培など近郊農業が盛ん。丘陵部やロムニー湿地は有数の牧羊地域。沿岸漁業も盛んで,ロチェスター付近のカキ養殖は有名。テムズ川沿岸で,製紙,機械,製陶などの工業が行われる。6世紀当時の七王国の一つ。3544km2。146万3740人(2011)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケント」の意味・わかりやすい解説

ケント
Kent, William

[生]1686. ヨークシャー,ブリッドリントン
[没]1748.4.12. ロンドン
イギリスの画家,建築家,室内装飾家。初め旅絵師に絵を学び,20歳でロンドンに出た。 1709~19年ローマに滞在,このとき,生涯の後援者となった R.バーリントン卿を知る。 19年帰国,以後卿の依頼を受けてケンジントン宮の壁画装飾などにたずさわったが,まもなく建築に転向,35年,王室付き工匠頭に任命された。国会議事堂案 (1732) ,大蔵省 (34~36) ,ホーカム・ホール (34~61) ,ホース・ガーズ (51~58) などが代表作。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ケント」の解説

ケント
Kent

イングランド南東部のアングロ・サクソン七王国の一つ。5世紀にジュート人が建国,都はカンタベリ(ケントの城市の意)。6世紀末エセルベルト王のときが最盛期で,イングランドで初めてキリスト教を導入。以後衰え,9世紀からイングランド王国に編入された。

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デジタル大辞泉プラス 「ケント」の解説

ケント

ブリティッシュ・アメリカン・タバコ・ジャパンが輸入、販売するタバコのブランド。「エクストラ」「エイチディー」のほか、メンソール、ボックスタイプがある。

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367日誕生日大事典 「ケント」の解説

ケント

生年月日:1763年7月31日
アメリカの法学者
1847年没

ケント

生年月日:1767年11月2日
イギリスの軍人
1820年没

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世界大百科事典(旧版)内のケントの言及

【イングランド】より

…(4)放牧地帯 かつてケルト制度と呼ばれる粗放穀草式農業の地域であったペナイン山脈やコーンウォール半島では,湿潤な高原が永久草地として羊や肉牛の放牧に利用されている。(5)園芸農業地帯 南部海岸,ケント,フェンランド,ヨーク河谷などの飛地的地域では,それぞれの優れた気候,土壌,市場条件を背景に,促成野菜,果樹,花卉(かき),ホップなどの栽培が行われている。 次に鉱業に関してみると,全体に斜陽化が顕著である。…

【七王国】より

…5~9世紀にかけて,イングランドに渡来・定着したアングロ・サクソン人が形成した小部族王国。東南部のケント(ジュート人が建国),テムズ川下流を占めたエセックス,西部に発展したウェセックス,南部のサセックス(以上サクソン族が建国),東部のイースト・アングリア,中部のマーシア,北部のノーサンブリア(以上アングル族が建国)の7国をいう。これら諸国は先住のブリトン人と戦って征服をすすめる一方,相互の間でも覇権をめぐって抗争し,6世紀末にはエゼルベルフト(エセルバート)王(在位560‐616)治下のケントが有力になった。…

【ジュート人】より

…ユート人ともいう。原住地はユトランド半島であったが,民族大移動期の5,6世紀にグレート・ブリテン島の南東部に渡来してケント王国を建て,一部はさらにワイト島やその対岸地方にも移動定着した。同じ時期にグレート・ブリテン島に移ったアングル人,サクソン人などとともにアングロ・サクソン人を構成するが,ジュート人の定着したケント地方は,古くはフランク人の影響と思われる精巧な工芸手法や,また中世においては男子均分相続などにみられる相続慣行,その他土地制度,法慣習など,前2者に対する独自性を長く保持した。…

【庭園】より

…この設計は最初ブリッジマンCharles Bridgeman(?‐1738)によって行われ,彼は庭と外界の境に一種の堀割であるハハーHahahを導入して,何さえぎるものなく眺望が周囲の自然にとけ込んでいくように工夫した。ストーは以後,ブリッジマンと協同したバンブラー,ケント,ギブズ,ブラウンといった名手たちがつぎつぎに手を加えた記念碑的な庭園となる。風景式庭園のさまざまな相を一つに集めた庭として,いまに伝えられている。…

※「ケント」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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