シュレジエン織工一揆(読み)シュレジエンしょっこういっき

改訂新版 世界大百科事典 「シュレジエン織工一揆」の意味・わかりやすい解説

シュレジエン織工一揆 (シュレジエンしょっこういっき)

1844年6月,当時のプロイセン王国シュレジエン州の中南部,オイレンゲビルゲ山麓のペータースワルダウ,ランゲンビーラウ(現,ビーラワ)を中心に起こった麻・綿織工蜂起。蜂起の主体となった織工は近代的な工場労働者ではなく,問屋制の支配下に置かれ,領主への封建的従属関係をも引きずった農村家内工業労働者であり,蜂起の矛先が向けられたのも,織工の困窮の上に富を貯えていった成上り的な大商人の館,工場,そして機械であった。F.エンゲルスは翌45年に,この蜂起をドイツ労働運動の開始を告げる〈合図のろし〉と評しているが,より一般的には,1830年代にようやく本格化する後進国ドイツの工業化がはらむ社会的・経済的矛盾を鋭く表現したものといえる。3000名が参加し,3日間にわたる戦いの後,プロイセン軍の武力行使により,11名の死者,24名の重傷者,150名の逮捕者を出して終わった。この蜂起に対する反響は大きく,H.ハイネ同年,《シュレジエンの織工》と題する詩を発表,また同年8月ベルリンで開催されたドイツ関税同盟産業博覧会に集まった企業家の間からは,労働者の状態改善を図るべく〈労働者福祉協会〉設立の動きが起こった。ドイツ自然主義作家G.ハウプトマン戯曲《織工》(1892発表,93初演。日本初演は1933年,築地小劇場)は,この蜂起を素材としたものである。
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