シルクロード(英語表記)Silk Road

翻訳|Silk Road

精選版 日本国語大辞典 「シルクロード」の意味・読み・例文・類語

シルク‐ロード

(Silk Road) (古代中国の特産の絹を西方の国々にもたらした通商路であったところからドイツの地理学者リヒトホーフェンが名づけたもの) 内陸アジアを横断して中国と西アジア・地中海沿岸地方を結んだ古代の通商路。中国の長安または洛陽に発し、タリム盆地を経由して西アジア・地中海沿岸に達する。紀元前二世紀末から開かれ、東西文化の交流に重要な役割を果たしたが、海上交通の発展に伴って衰えた。絹の道。

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デジタル大辞泉 「シルクロード」の意味・読み・例文・類語

シルク‐ロード(Silk Road)

中央アジアを横断する古代の東西交通路の称。中国から、タリム盆地周縁のオアシス都市を経由し、パミールを経て西アジアとを結ぶ道で、モンゴル帝国が支配するまで東西の文物の交流に大きな役割を果たした。絹(シルク)が中国からこの道を通って西方に運ばれたところから、ドイツの地理学者リヒトホーフェンが命名。絹の道。
[補説]2014年、中国・カザフスタンキルギスタンに残る33か所の関連遺跡や寺院などが、「シルクロード」の名で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シルクロード」の意味・わかりやすい解説

シルクロード
Silk Road

古代の中国と西洋を結んだ交易路。西洋へは絹が,中国へは羊毛,金,銀,ネストリウス派キリスト教(景教)などがもたらされた。シルクロード(絹の道)ということばは 19世紀ドイツの地理学者フェルディナント・フォン・ウィルヘルム・リヒトホーフェンによって,その大著『中国』China, Ergebnisse eigener Reisen und darauf gegründeter Studien(全5巻,1877~1912)の 1巻において Seidenstrassenとして使用されたのが最初であろう。リヒトホーフェンの弟子スウェン・アンデルスヘディンがその中央アジア旅行記の一つの書名にこのことばを使用して以来有名になったが,元来は東トルキスタン(中国,シンチヤン〈新疆〉ウイグル〈維吾爾〉自治区)を東西に横断する交通路を意味するものであった。しかしシルクロードを中国とローマとの間の主要貿易路(交易路)とするならば,その起点は長安(→シーアン〈西安〉特別市)でその終点はシリアのアンチオキアだとすることができよう。この名称をリヒトホーフェンとヘディンが使用した意味に解するならば,この隊商路の主要な路線は次の 3本になる。(1) 最も古い南方路。敦煌(→トンホワン〈敦煌〉市)からアルトゥン(阿爾金)山脈に沿い,ホータン,ヤルカンドなどタクラマカン(塔克拉瑪干)砂漠の南辺を通過してパミール高原に達する。(2) 紀元後数年に開かれたと考えられる北方路。敦煌からトゥルファンを経てウルムチ(→ウルムチ〈烏魯木斉〉特別市)に達し,イリ川流域にいたる。(3) 北方路よりも古く,南方路と同じ頃の前2世紀にさかのぼる中央路。敦煌から楼蘭を経てコルラ(→コルラ〈庫爾勒〉市)に達する,最も重要な隊商路として 4世紀前半まで使用されていたと考えられる。広義のシルクロード,すなわち西トルキスタン(中央アジア)以西の東西隊商路は多数の路線に分岐していた。2014年,洛陽(→ルオヤン〈洛陽〉特別市)から長安を経て中央アジアにいたる路線(全長約 8700km)のうち約 5000kmにわたる部分と,その道路網に沿った都市,宮殿,寺院などを含む遺跡(中国はキジル千仏洞玉門関など 22ヵ所,カザフスタン 8ヵ所,キルギスアク・ベシムなど 3ヵ所)が,「長安・天山回廊の道路網」として世界遺産の文化遺産に登録された。

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百科事典マイペディア 「シルクロード」の意味・わかりやすい解説

シルクロード

絹の道。中央アジアのオアシスを通る古代の東西交通路。中国産の絹がこの道によって西方のインド,イランやローマにもたらされたことに由来する。ドイツの地理学者リヒトホーフェンが《支那》(1877年)で命名したザイデンシュトラーセンSeidenstrassenの英語訳。現代中国語では〈絲綢之路〉。東西貿易路であるとともに文化交流の道でもあった。そのルートには中国北西部からタリム盆地の北辺,天山山脈南麓沿い(天山北路)とタリム盆地の南辺,崑崙(こんろん)山脈北麓沿い(天山南路)とがあり,ともにオアシス都市を結ぶ隊商(キャラバン)ルートである。この〈オアシスの道〉が本来のシルクロードであるが,この語を広義に東西交通路の意味で用いる場合には次の2コースも加わる。北方には〈草原の道(ステップ・ルート)〉があり,モンゴリアからアルタイ山麓,ジュンガリア,カザフ・ステップをへて南ロシアの草原地帯に至る。さらに南シナ海インド洋アラビア海ペルシア湾などの海路による〈海上の道〉がある。2014年〈シルクロード:長安−天山回廊の交易路網〉として世界遺産条約の文化遺産リストに登録された。
→関連項目絹織物西域中央アジア東方貿易平山郁夫ブハラポーロ養蚕蘭州

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改訂新版 世界大百科事典 「シルクロード」の意味・わかりやすい解説

シルクロード
Silk Road

本来は,洛陽,長安などの中国の都市と,シリア,ローマなどの西方の諸地域とを結んだ,中央アジア経由の陸上東西交通路,キャラバン・ルートの総称。数本の幹線路と無数の支路とから成るが,その内容は時代時代によって異なる。〈絹の道〉の意。ドイツ語のザイデンシュトラーセンSeidenstrassen(複数形〈絹の諸道〉)に基づく英語訳名。ドイツ語名は,ドイツの地理学者F.vonリヒトホーフェンの大著《支那China》第1巻(1877)に用いられ,以後これを受け継いだドイツの東洋学者A.ヘルマンの著書《シナ・シリア間の古代絹街道Die alten Seidenstrassen zwischen China und Syrien》(1910)などによって普及した。古来,これらの交通路を利用して西方に運ばれた中国商品の代表的なものが絹であったことから,付けられた名称である。現代中国における訳語は〈糸綢之路〉となっている。

 現在の日本では,この語の本来の用法を拡大して,中国・日本と西方の諸地域とを結ぶ陸上・海上のあらゆる交通路と,それらの交通路沿いに存在するあらゆる地域を指して用いる場合が多い。この広い意味でのシルクロード(東西交通路)の幹線は,大きく以下の3種に分類される。(1)モンゴリアから天山山脈,アラル海,カスピ海,黒海の北方に広がる広大な草原地帯を経由してヨーロッパに通ずるもの。遊牧地帯を横切る交通路。草原の道,ステップの道,ステップ・ルートなどと呼ばれ,すでに前5世紀のヘロドトス《歴史》に記述が見られる。(2)洛陽・長安などから河西回廊を経て敦煌に至り,以後おもなものは2道に分かれ,1道はタリム盆地の北辺,天山山脈南麓のオアシス諸都市を経由してカシュガルに至り,次いでパミールを越えてフェルガナ盆地に達し,以後西トルキスタン,西アジア,南ロシア方面へと進むもの。他の1道はタリム盆地の南辺,崑崙山脈北麓のオアシス諸都市を経由してヤルカンドに至り,次いでパミールを越えてバクトリア,西アジア,インドなどに達するもの。定住地帯のオアシス諸都市を結ぶ交通路である。オアシスの道,オアシス・ルートなどと呼ばれ,漢の張騫(ちようけん)の西使以後,特に盛んに利用されるようになった。本来の,狭義のシルクロードはこのルートを指す。(3)南シナ海,インド洋,アラビア海,ペルシア湾,紅海などの海路を利用するもの。海港を結ぶ交通路である。海の道,海上の道,南海路などと呼ばれ,秦・漢帝国成立以前から利用されていたと考えられる。以上の各交通路は,古来,東西貿易の幹線路,軍隊の遠征路,東西文化交流の大動脈として東西世界の交流に大きな役割を果たした。
西域 →中央アジア →東西交渉史
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シルクロード」の解説

シルクロード
Silk Road

ドイツ語ザイデンシュトラーセン(Seidenstraßen)の訳。中国のがヨーロッパ方面へ輸出されるのに利用された内陸アジアの交通路の象徴的総称。漢の都長安(西安)から甘粛をへて敦煌(とんこう)に出,ここで南北道に分かれる。北道は天山南麓の,また南道は崑崙(こんろん)北麓のそれぞれのオアシスを経由しながら,ともにカシュガルに至る。パミールを越えてアム川シル川の上流域またはカシュミール地方に出て,道は分岐しながらもローマ帝国東方に達する。このオアシス・ルートが基本となるが,中央ユーラシアの遊牧民社会のなかを東西につなぐ草原ルートが漢代以前から存在した。商品や人物の移動だけでなく,仏教,ゾロアスター教マニ教景教やイスラームの東方伝播など文化交流に果たした役割は大きい。

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知恵蔵mini 「シルクロード」の解説

シルクロード

中国と欧州を結ぶ古代の交易路の総称。英語で「絹の路」の意。この道を通って中国の生糸や絹製品が西方に運ばれていったことから、ドイツの地理学者リヒトホーフェン(1833~1905年)によって命名され、のちに英訳されて広まったとされる。中国を出てタリム盆地周辺のオアシス都市を経由し、パミール高原を越えて西アジアから地中海沿岸へと至る道で、数本の幹線路と各地を結びつける多数の支路がある。紀元前2世紀頃からおよそ1000年に渡って国際的な交易や文化の交流が行われた。2014年、中国の長安(現・西安)や洛陽から敦煌を経て中央アジアに至る全長約8700キロメートルのルートが国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。

(2014-6-24)

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デジタル大辞泉プラス 「シルクロード」の解説

シルクロード〔オートバイ〕

ホンダ(本田技研工業)が1981年から製造・販売したオートバイ。総排気量248cc(普通自動二輪車)。エンジン形式は空冷4ストローク単気筒SOHC。市街地から未舗装路の走行まで幅広い用途に対応するトレッキングバイク。

シルクロード〔小説〕

仏教美術史学者、林良一によるノンフィクション。シルクロード美術について解説する。1962年刊行。第11回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のシルクロードの言及

【漢】より

…漢と大宛,大月氏,烏孫,大夏などの西域諸国とのあいだには使者や商人が往来し,西域からはブドウ,ザクロ,クルミなどの珍しい産物や馬,ラクダなどのほか,音楽や軽業(かるわざ),雑技などがもたらされ,逆に中国から持ち出されたものとしては,とくに絹織物に好奇の目がむけられた。この絹織物は西アジアを経由して遠くローマまで運ばれており,後に絹の交易路という意味で〈シルクロード〉とよばれるアジアとヨーロッパの2大州を結ぶ交通路が公に開通するにいたった。 第10代の宣帝は内政において充実した隆盛期をもたらした皇帝であるが,外交面でも大きな足跡を残した。…

【絹織物】より

…経糸(たていと),緯糸(よこいと∥ぬきいと)に絹糸を用いて織りあげた織物の総称。中国で創出されたもので,高価な貴重品として,古来シルクロードの主要な交易品目に数えられ,古代ローマでは同じ目方の金と取引された。その製法は長い間秘密とされ,蚕を中国の国外に持ち出したものは死刑に処せられたという。…

【交通】より

…隊商を組んだ人々の手によって,中国の絹やインドの香料,綿布がギリシア,ローマの人々の手に渡り,西方からは金貨,ガラス製品,毛織物が東方へ送られた。その通路としてのシルクロードの名前はよく知られている。物資ばかりでなく,宗教,思想,芸術などもここを通る人々によって伝えられ,シルクロードは東西文化交流の道となった。…

【砂漠】より

…さらに規模が大きくなると,都市的機能をもつようになり,商業,交通・運輸業などが大きな役割を担うようになる。かつて東アジアとヨーロッパを結んだシルクロードは,天山山脈南麓,崑崙(こんろん)山脈北麓の山麓性オアシス集落を結んで発達したものである。世界最大の砂漠であるサハラも泉性オアシスの存在とラクダの導入により古くから横断が可能となり,北の地中海沿岸と〈黒いアフリカ〉スーダンとの間で交易が盛んであった。…

【中央アジア】より


【歴史】
 中央アジアの歴史は,北部の草原地帯と山間牧地を居住地とした遊牧民と,南部のオアシス地帯に居住した農耕定住民の相互関係のありようを基軸として展開された。同時に中央アジアの周囲には,東方の中国,西方の西アジア,ヨーロッパ,さらに南方のインドといった独自の文化圏が存在し,古来これらの文化圏を結ぶ東西交通路・隊商貿易路(シルクロード)が中央アジアのただ中を通過していたがゆえに,中央アジアは政治的にも文化的にも,これらの文化圏と種々の交渉をもった。すなわち中央アジアの歴史を考える場合には,この地帯が時代を問わず常にその内部に包含していた遊牧民と定住民の相互関係,いわば南北の関係に最大の注意を払いつつも,同時にまた,この地帯が周辺地域との交渉によって時代時代に受けた影響の度合,いわば東西の関係による影響のほどについても留意する必要がある。…

【東西交渉史】より

…さらに,このルートが諸方面との交流に利用されていたことは,前3~前2世紀ごろの遺跡と考えられるアルタイ山脈東部域のパジリク古墳群から,ペルシア産の絨緞,インド産の貝殻,中国産の絹布や青銅器などが出土していることからも明らかである。一方,中央アジア,西アジアのオアシス都市を結んで東西に走る〈オアシスの道〉〈オアシス・ルート〉〈シルクロード(絹の道)〉も,前2世紀の有名な張騫(ちようけん)の西方旅行以前からすでに利用されていたらしく,それに先立つ戦国時代の中国には,このルートを利用してホータン(于闐)地方原産の軟玉が伝えられ〈禺氏の玉〉〈崑崙の玉〉として珍重されていた。また前6世紀のアケメネス朝ペルシア帝国の東西への発展,前4世紀のアレクサンドロス大王の東方遠征も,このルートの発達に大きな影響を及ぼしたものと考えられる。…

※「シルクロード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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