タフト(英語表記)William Howard Taft

デジタル大辞泉 「タフト」の意味・読み・例文・類語

タフト(tuft)

毛や糸などを束ねて房にしたもの。
じゅうたんなどの毛足

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精選版 日本国語大辞典 「タフト」の意味・読み・例文・類語

タフト

[一] (William Howard Taft ウィリアム=ハワード━) アメリカ合衆国第二七代大統領(在任一九〇九‐一三)。共和党。T=ルーズベルトの革新政策を継承したが、次第に保守化。対外的には強硬策をとり、ドル外交を推進した。(一八五七‐一九三〇
[二] (Robert Alphonso Taft ロバート=アルフォンソ━) アメリカ政治家。(一)の子。共和党。上院労働委員長としてタフト‐ハートレー法を立案。(一八八九‐一九五三

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改訂新版 世界大百科事典 「タフト」の意味・わかりやすい解説

タフト
William Howard Taft
生没年:1857-1930

アメリカ合衆国第27代大統領。在職1909-13年。第9代最高裁首席判事(1921-30),弁護士。1901-04年,フィリピン総督として内乱の収拾と農地改革をはじめとする諸改革を断行。T.ローズベルト政権の陸軍長官時代(1904-08),桂=タフト協定(1905),日本移民の自主規制を約束させた日米紳士協約(1907)の締結,パナマ運河建設計画の推進,およびキューバの秩序の回復に貢献。09年,ローズベルトの後継者として大統領に就任。トラスト規制をすすめる一方,中南米,極東においていわゆる〈ドル外交〉を推進する。ペーン=オルドリッチ関税法(1909),自然保護政策に関するバリンジャー=ピンショー論争をめぐり共和党左派の進歩派と対立して党の分裂を招き,12年の選挙ではT.W.ウィルソンに敗北。13年からイェール大学法学部教授。第1次大戦末期から国家戦時労働評議会委員長(1918-19)を務める。最高裁判事時代は,最高裁内の意見の調整とその能率の向上につとめる。
執筆者:

タフト
Robert Alphonso Taft
生没年:1889-1953

アメリカ合衆国の政治家。オハイオ州生れ。W.H.タフト大統領の息子で弁護士。1939-53年連邦上院議員。共和党保守派の指導者としてニューディール政策およびF.D.ローズベルト,トルーマンの対外政策を批判。保守的な立場から〈ミスター共和党〉のニックネームで知られる。アメリカ第一主義,孤立主義を唱える一方,政府による規制,社会福祉立法に反対。47年のタフト=ハートリー法立役者。40,48,52年と共和党の大統領候補指名に出馬したが3度とも失敗。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タフト」の意味・わかりやすい解説

タフト
Taft, William Howard

[生]1857.9.15. オハイオ,シンシナティ
[没]1930.3.8. ワシントンD.C.
アメリカの政治家。第 27代大統領 (在任 1909~13) 。法曹界で活躍したあと,1901年フィリピンの初代文官総督となった。 04~08年 T.ルーズベルト大統領のもとで陸軍長官。 08年にはルーズベルトの後継者として共和党大統領候補となり,W.ブライアンを破って当選し,09年就任した。在任中,国務長官 P.ノックスとともに「ドル外交」を展開し,ラテンアメリカ諸国に対する輸出増加をはかるとともに,財政援助の形による介入を進めた。一方,運河建設可能地帯であるニカラグアに対しては海兵隊を進駐させるなど,ラテンアメリカをアメリカの支配下におこうとした。また,中国に対しては満州鉄道の国際化を提案したが日本とロシアの反対にあって挫折し,対中国借款の形をとって経済的進出をはかった。 12年の大統領選挙で共和党革新派と分れ,T. W.ウィルソンに敗れた。その後,21年までエール大学法学教授。同年 W.ハーディング大統領により第 10代連邦最高裁判所長官に任命され,生涯その職にあった。

タフト
Taft, Robert Alphonso

[生]1889.9.8. オハイオ,シンシナティ
[没]1953.7.31. ニューヨーク
アメリカの政治家。第 27代アメリカ大統領 W.タフトの息子。エール,ハーバード両大学を卒業後,1913年オハイオ州で弁護士の資格を取得。 20年にオハイオ州下院議員に当選して政界に入った。 38年合衆国上院議員に当選,ニューディール政策 (→ニューディール ) の急進的な傾向や中央集権化を批判し,また 47年のタフト=ハートレー法の立法化に尽力した。共和党の大統領候補指名選挙に2度立候補したが敗れ,共和党の上院院内総務となり D.アイゼンハワー大統領に協力したが,癌のため急死。

タフト
Taft, Lorado

[生]1860.4.29. イリノイ,エルムウッド
[没]1936.10.30. イリノイ,シカゴ
アメリカ合衆国の彫刻家。イリノイ大学卒業,4年間パリのエコール・デ・ボザールに学ぶ。1883年シカゴにアトリエを開き,以後,公園の泉,戦勝碑,肖像彫刻などを制作。シカゴ美術研究所(→シカゴ美術館)およびイリノイ大学で美術を講じた。主要作品『魂の孤独』,『盲目』(シカゴ美術館),『ワシントン像』(シアトル),『時の泉』(1922,シカゴ,ワシントン公園ほか)など。

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百科事典マイペディア 「タフト」の意味・わかりやすい解説

タフト

米国第27代大統領(1909年―1913年)。共和党に属し,フィリピン総督,陸軍長官を歴任後,大統領。陸軍長官時代に桂=タフト協定(1905年),日米紳士協約(1907年)を締結。大統領就任後はトラスト規制など進歩的政策をとったが,のち党内革新派の支持を失い,党の分裂を招いた。いわゆるドル外交を推進。晩年は第9代最高裁判所首席判事。
→関連項目オハイオ[州]タフト

タフト

米国の政治家。W.H.タフトの子。オハイオ州上・下院議員を経て,連邦上院議員(1938年―1953年)。共和党右派に属し,財政通で,党内の国内政策の指導者。ニューディール政策に反対しタフト=ハートリー法を立案,新孤立主義を唱えて極東への積極的介入を主張した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タフト」の解説

タフト
William Howard Taft

1857~1930

アメリカの政治家,第27代大統領(在任1909~13)。共和党の革新主義者として,トラスト規制,累進所得税制,上院議員直接選挙の実現に尽力,対外的にはドル外交を展開した。1912年大統領選挙で党内革新派と対立し敗北。21年連邦最高裁長官に就任。

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旺文社世界史事典 三訂版 「タフト」の解説

タフト
William Howard Taft

1857〜1930
アメリカの第27代大統領(在任1909〜13)
フィリピン総督・陸軍長官をへて,T.ローズヴェルトの推挙で大統領に当選。ローズヴェルトの革新政策を引き継いで実施するとともに,「ドル外交」と呼ばれた強硬な外交政策をとり,しだいに保守化して革新派と対立した。1912年の大統領選挙でウィルソンに敗れた。

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デジタル大辞泉プラス 「タフト」の解説

タフト

ダイハツ工業が1974年から1984年まで製造、販売していた乗用車。2ドアのクロスカントリー型四輪駆動車。後継車としてラガーが開発された。

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世界大百科事典(旧版)内のタフトの言及

【タフト=ハートリー法】より

…正式には1947年労使関係法Labor‐Management Relations Act。通称は提案者R.A.タフトとF.A.ハートリーに由来する。タフト=ハートリー法は,1935年のワグナー法を修正して,雇主と組合との責任を平等化しようとした法律である。…

【プログレッシビズム】より

…彼はまた,アメリカの豊かな自然と資源が私益の犠牲となって破壊されているのを憂え,天然資源保護政策にも力を入れた。次のタフト大統領(在職1909‐13)は革新政治家としての個性は比較的弱いが,その在任中には,19世紀後半以来改革運動の懸案であった連邦所得税と上院議員の直接選挙を定めた憲法第16,17修正(ともに1913発効)が成立している。個人の機会保持と自由競争に重点を置く〈ニューフリーダム〉の構想を掲げて登場したウィルソン大統領(在職1913‐21)は,熱心に不正な企業活動を取り締まり,関税を引き下げ,銀行通貨制度の根本的な改革を行い,農民に低利の長期信用を与え,労働条件を改善するための連邦法をつぎつぎに世に送り出した。…

【桂=タフト協定】より

…1905年,アメリカと日本の間にかわされた朝鮮(大韓帝国)およびフィリピンに関する秘密覚書。同年7月,フィリピン視察の帰途来日したアメリカ陸軍長官W.H.タフトは桂太郎首相と会談し,両者はつぎのような覚書を確認した。(1)日本はアメリカのフィリピン統治を承認する。…

【ドル外交】より

…海外投資を促進させ,もって海外市場を広げ,政治的・経済的影響力の増大をはかろうとするアメリカ外交政策の流れをいう。とくに20世紀初頭タフト大統領とノックス国務長官によって,中南米と東アジアで強力に推進された。このような経済的な外交政策の平和的性格を強調したタフトが,〈弾丸に代えるにドルをもってする〉と述べたことからこの名がつけられた。…

※「タフト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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