朝日日本歴史人物事典 「三笑亭可楽(初代)」の解説
三笑亭可楽(初代)
生年:安永6(1777)
江戸後期の落語家。通称京屋又五郎。江戸に生まれ,櫛職人となる。寛政10(1798)年,大坂より下った岡本万作の寄席興行の影響を受け,山生亭花楽を名乗り興行を打ち,江戸落語家寄席出演の嚆矢となるが,持ちネタが少なく5日で廃し,その後越ケ谷(埼玉県)を振り出しに巡業。松戸(千葉県)で三笑亭可楽と改名。翌々年江戸で咄の会を開き,享和2(1802)年には初の咄本『山しょ味噌』を刊行。頓才に恵まれ,文化1(1804)年には,三題咄(弁慶,辻君,狐)を考案した。落咄を即席にまとめる一分線香即席咄を得意とし,謎解きにも挑戦した。素咄を正座で咄すという上品な芸風で,『新作 種が島』(1811)には門人25名の連名を掲げるが,朝寝坊夢羅久,初代林屋正蔵が著聞。文政7(1824)年には成田山に見事な絵馬を奉納(現存)。浅草今戸潮江院に葬る。名跡は平成4(1992)年に襲名の9代目におよぶ。<参考文献>延広真治『落語はいかにして形成されたか』
(延広真治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報