上野英三郎(読み)うえのえいざぶろう

改訂新版 世界大百科事典 「上野英三郎」の意味・わかりやすい解説

上野英三郎 (うえのえいざぶろう)
生没年:1871-1925(明治4-大正14)

日本の近代的な農業土木学の開祖。三重県に生まれ,1895年東大農科を卒業,1900年以降同大講師,助教授として農業土木を講ずる。07年農商務省技師に転じてドイツ,フランスに留学し,アメリカを経て帰国,11年新設された東大農業工学講座の初代教授となる。当時盛行した耕地整理の理論的な体系化をはかったほか,農商務省の土地・水利改良や朝鮮の産米増産などの計画や立案を指導,農業土木技術者の養成に努めた。また農事試験場の農具部門の設立を援助,臨時治水調査委員として利水の重要性を強調した。なお〈忠犬ハチ公〉は彼の愛犬であった。主著に《耕地整理講義》(1905)がある。
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朝日日本歴史人物事典 「上野英三郎」の解説

上野英三郎

没年:大正14.5.22(1925)
生年明治4(1871)
明治大正期の農学者。東京渋谷の駅前に建つ銅像「忠犬ハチ公」の飼い主としても有名である。三重県生まれ。明治28(1895)年帝大農科大学を卒業。農商務省技師に就任したり,ドイツ,フランス,アメリカなどに留学したのち,母校の農科大学に新しく農業工学講座が設置されるにともない,その教授となった。研究室の仕事ばかりでなく,耕地整理協会にかかわり耕地整理や灌漑排水など土地改良分野に初めて農学者の立場から貢献したり,大日本農会が主催する発明懸賞募集動力脱穀機や動力籾摺機などの審査長を引き受けるなど幅広い活動をした。大学で研究中に脳溢血で倒れ,再びその元気な姿を愛犬の前に現すことはなかった。

(鈴木善次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上野英三郎」の解説

上野英三郎 うえの-えいざぶろう

1871-1925 明治-大正時代の農学者。
明治4年生まれ。41年ドイツ,フランス,アメリカに留学。帰国後の44年母校東京帝大農科大の農業工学講座の初代教授となる。灌漑(かんがい)排水と耕地整理の分野で業績をのこす。忠犬ハチ公の飼い主としても知られた。大正14年5月22日死去。55歳。三重県出身。著作に「耕地整理講義」。

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