日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山博道」の意味・わかりやすい解説
中山博道
なかやまひろみち
(1873―1958)
近代の名剣士。石川県の生まれ。本名資信(すけのぶ)。初め山口一刀流を学び、18歳のとき上京、神道無念(しんとうむねん)流根岸信五郎(ねぎししんごろう)の門に入り、1902年(明治35)免許皆伝を受けてその養子となり、道場有信館(ゆうしんかん)の経営に尽力した。一方、土佐の細川義昌(よしまさ)、大森免久身(めぐみ)について大森流・長谷川英信(はせがわえいしん)流居合(いあい)を、福岡の内田良五郎(りょうごろう)らについて神道無想(むそう)流棒術などを修め、20年(大正9)大日本武徳会から剣道および居合術範士、27年(昭和2)同杖術(じょうじゅつ)範士の称号を授与された。この間、警視庁武道師範をはじめ皇宮警察部、海軍などの剣道師範に任ぜられ、また大日本帝国剣道形および同加註(かちゅう)の制定に参加し、34年、40年の昭和天覧試合には高野佐三郎と同剣道形を演じた。
[渡邉一郎]