中橋久左衛門(読み)なかはし・きゅうざえもん

朝日日本歴史人物事典 「中橋久左衛門」の解説

中橋久左衛門

生年生没年不詳
江戸中期,加賀藩の十村役。浅田用水を開き,溜池造成に尽くした。加賀国(石川県)河北郡中橋村生まれ。口能登の「廻り口扶持人十村」役として羽咋郡千代町村に転勤。干害に苦しむ同地域のために郡打銀(経費を藩領全体で負担)による溜池灌漑施設造成を藩に要請し,自ら工事を指揮し,享保13(1728)年から杉野屋・菅原・藪野・柳田の各村領内に溜池を造成し1万3000石余を灌漑。菅原村民は鎮守に久左衛門を祭って溜池祭を行い,杉野屋村の寺院では溜池法事が行われている。元文年中(1736~41)には金融的な才能を認められ上方への金策御用にも従事した。<参考文献>『羽咋郡誌』『志雄町史』『宇ノ気町史』

(木越隆三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中橋久左衛門」の解説

中橋久左衛門 なかはし-きゅうざえもん

?-1750 江戸時代中期の治水家。
加賀金沢藩羽咋(はくい)郡の廻り口扶持人十村(とむら)役。藩の許可をえて菅原,杉野屋,藪野,柳田の四つの溜め池造成工事を指揮,享保(きょうほう)13年完成させ,山間荒れ地水田とした。寛延3年9月23日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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