中華街(読み)チュウカガイ

デジタル大辞泉 「中華街」の意味・読み・例文・類語

ちゅうか‐がい〔チユウクワ‐〕【中華街】

中国以外の各都市で、中国系住民が多く集まり住んでいる地区中国料理店や中国産品店が多く、中国風の生活様式を保っている。横浜神戸長崎シンガポールホーチミンロンドンなどにある。南京町チャイナタウン

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精選版 日本国語大辞典 「中華街」の意味・読み・例文・類語

ちゅうか‐がい チュウクヮ‥【中華街】

〘名〙 中国以外の国で、特に中国人が多く居住している町。
※血の来訪者(1961)〈大藪春彦人身御供「山下町中華街のはずれ〈略〉ネオンが瓦を乗せた牌楼門をうかばす向うに」

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日本歴史地名大系 「中華街」の解説

中華街
ちゆうかがい

[現在地名]中区山下町

山下町のほぼ中央、外国人居留地の西地域の一三〇番から一六〇番にわたる本村通ほんむらどおり加賀かが町に囲まれた区域にある。東・西・南の入口に朱塗りの大門がある。

幕末から明治初年には中国との条約が結ばれておらず、中国人は欧米商人の召使使用人として来航した者が多く、なかには欧米商人の買弁として来航し、生糸などの商品の買付にあたった者もいたが、大部分は労務を提供する苦力であった(続通信全覧など)。開港当初は欧米商人の商館内に住込む者が多かったが、文久元年(一八六一)に横浜新田が埋立てられて居留地が拡張されると、新しい埋立地に居住する者が多くなり、市街地化された。

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事典・日本の観光資源 「中華街」の解説

中華街

(神奈川県横浜市中区)
かながわのまちなみ100選指定の観光名所。

中華街

(神奈川県横浜市中区)
かながわ未来遺産100」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の中華街の言及

【中国料理】より

…そして戦後大陸からの引揚者が中国の食文化を持ち帰り,これが日本各地に中国料理を広げる素地になったといわれる。横浜は戦前南京町(横浜中華街)に中国そば屋が数軒あった程度であったのが,戦後になって中華街と名前が変わり,大発展を続けて130軒ほどの中国料理店が軒を連ねるようになった。戦後は東京,大阪の大都会に中国料理の大飯店が建ち並び全国に中国料理店,中国そば店の類が普及した。…

【横浜[市]】より

…これらの丘のふもとには野毛と元町の商店街がある。元町は初め外人のための家具や食器類の店が多かったが,しだいに舶来品を扱うようになり,今日では中国料理店の並ぶ山下町の中華街(南京(ナンキン)町)とともに横浜で最もエキゾティックな町並みとなっている。 初め大岡川や帷子(かたびら)川の谷間と,臨海部の鶴見,磯子に延びた市街地は,しだいに内陸の丘陵地に広がった。…

※「中華街」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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