中野新町(読み)なかのしんまち

日本歴史地名大系 「中野新町」の解説

中野新町
なかのしんまち

[現在地名]富山市中野新町一―二丁目・大田口通りおおたぐちどおり三丁目

中野町の南、飛騨街道に沿って南北に延びる両側町。富山城下が南に拡大した結果、中野村の一部が町立てされて成立した。富山城下の南端で、当町南端は中野口とよばれた。田地方のうち。寛文六年(一六六六)の御調理富山絵図、万治年間富山旧市街図に町名がみえる。安永八年(一七七九)の本家数八〇・貸家数七〇で、四丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理では竈数一七七、男四一一・女四一三。三丁目の四つ辻と四丁目西側の町端に出張番所があり、三丁目四つ辻には用心井戸も設けられていた。小路一。三丁目の橋は御上普請であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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