亀井南冥(読み)カメイナンメイ

デジタル大辞泉 「亀井南冥」の意味・読み・例文・類語

かめい‐なんめい〔かめゐ‐〕【亀井南冥】

[1743~1814]江戸後期の儒学者・医師筑前の人。名は魯。あざな道載どうさい徂徠そらい学を学び、福岡藩の儒員兼医員となったが、晩年は不遇のうち自殺。著「論語語由」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀井南冥」の意味・わかりやすい解説

亀井南冥
かめいなんめい
(1743―1814)

筑前(ちくぜん)国早良(さわら)郡姪浜(めいのはま)(福岡市)の古方医(こほうい)の子。名は魯(ろ)、字(あざな)は道載(どうさい)、通称は主水(もんど)または道哉(みちや)。少年期より徂徠(そらい)学派の肥前の僧大潮(だいちょう)(1676/1678―1768)に学び、宝暦(ほうれき)(1751~1764)に上坂して永富独嘯庵(ながとみどくしょうあん)に就く。帰国後、父に従い唐人(とうじん)町に移居して医院・塾を経営、朝鮮通信使との詩文応対でその才を認められ、藩の儒医抜擢(ばってき)される。さらに、かねての藩校急務論が認められ、1784年(天明4)東西両藩校創設に際し、西学甘棠館(かんとうかん)の総裁に任ぜられた。西学は学ぶ者が多く、東学を圧倒していたが、やがて寛政(かんせい)異学の禁(1790)に便乗した東学修猷館(しゅうゆうかん)の朱子学派から陥れられ、南冥は隠退の身となって、その後に主著『論語語由』をまとめた。『論語』の注釈書は多いが、後儒のさかしらによりその原意がゆがめられているとし、本書孔子のことばによってのみ孔子を語らせるという方法をとり、もっとも優れた注釈書の一つとされる。ほかに『肥後物語』『半夜話(はんやばなし)』『南游(なんゆう)紀行』『金印弁(きんいんべん)』などの著がある。漢詩に優れ、書をよくし欧陽詢(おうようじゅん)に倣った。また酒をたしなみ任侠(にんきょう)肌で、郷党に儒侠(じゅきょう)と称せられた。

[井上 忠]

『高野江鼎湖著『儒侠亀井南冥』(1913・共文社)』『荒木見悟他編『亀井南冥・昭陽全集』全8巻9冊(1978~1980・葦書房)』

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百科事典マイペディア 「亀井南冥」の意味・わかりやすい解説

亀井南冥【かめいなんめい】

南溟とも。江戸後期の儒学(古学)者,医者。名は魯。筑前(ちくぜん)の人。古学を荻生徂徠(おぎゅうそらい)・僧大潮(だいちょう)に学び,古医方(こいほう)を永富独嘯庵(ながとみどくしょうあん)に学んだ。1778年福岡藩の儒医,1783年に西学問所学頭となったが,1792年禄を放たれた。著書《論語語由(ろんごごゆう)》《南遊紀行》《肥後物語》《我昔(がせき)詩集》など。子の昭陽(しょうよう)は家学(〈亀門学(きもんがく)〉)を継いだ。
→関連項目広瀬淡窓帆足万里細川重賢

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改訂新版 世界大百科事典 「亀井南冥」の意味・わかりやすい解説

亀井南冥 (かめいなんめい)
生没年:1743-1814(寛保3-文化11)

江戸中期の儒学者。名は魯,字は道載,通称道哉。南冥は号。筑前姪浜の人。僧大潮に儒学を,永冨独嘯庵に医学を学ぶ。1778年(安永7)福岡藩儒医に抜擢され,83年(天明3)西学問所学頭となったが,92年(寛政4)職禄を放たれた。学は徂徠学を奉じたが孔子を尊び,子の昭陽が大成して〈亀門学〉と称され西国に重きをなした。主著に《論語語由》《春秋左伝考義》《肥後物語》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀井南冥」の解説

亀井南冥 かめい-なんめい

1743-1814 江戸時代中期-後期の儒者。
寛保(かんぽう)3年8月25日生まれ。徂徠(そらい)学派の僧大潮に儒学を,のち大坂で永富独嘯庵(どくしょうあん)に医学をまなぶ。筑前(ちくぜん)福岡藩儒医にとりたてられ,天明3年甘棠(かんとう)館の総受持(総裁)となった。朱子学派の東学問所(修猷(しゅうゆう)館)と対立し,寛政異学の禁の余波をうけ,寛政4年失脚。門下に広瀬淡窓ら。文化11年3月2日死去。72歳。名は魯。字(あざな)は道載。通称は主水。別号に信天翁,狂念居士。著作に「論語語由」「肥後物語」など。

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367日誕生日大事典 「亀井南冥」の解説

亀井南冥 (かめいなんめい)

生年月日:1743年8月25日
江戸時代中期;後期の儒学者;漢詩人
1814年没

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世界大百科事典(旧版)内の亀井南冥の言及

【倭奴国王印】より

…1784年(天明4)2月23日,博多湾志賀島で百姓甚兵衛が水田の溝を修理していたところ,二人持ちの大石が現れ,これを掘り起こすと金印が出てきたと伝えられる。当時福岡藩の藩校甘棠(かんとう)館の祭酒(校長)であった亀井南冥はこれを鑑定し,実物であることを主張,《金印弁》を著している。その後,金印は黒田家所蔵となったが,近年福岡市に寄贈された。…

※「亀井南冥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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