日本大百科全書(ニッポニカ) 「今中次麿」の意味・わかりやすい解説
今中次麿
いまなかつぐまろ
(1893―1980)
政治学者。広島県生まれ。1918年(大正7)東京帝国大学政治学科卒業。牧師海老名弾正(えびなだんじょう)に従いキリスト者として積極的に活動したが、同時に小野塚喜平次、吉野作造に師事して政治学研究の道を進み、同志社大学教授、九州帝国大学教授などを歴任。時局批判を行ったため第二次世界大戦末期には辞職のやむなきに至った。戦後にはふたたび九州大学はじめ多くの大学で研究教育にあたり、一貫して政治科学の確立に努力した。彼は、第一次大戦後の国際平和への望みが共産主義対ファシズムの対決によって失われつつある緊張状況を直視することによって、当初の新カント主義的方法二元論の批判から、やがて唯物的一元論へと進んだ。のちに「危機神学」(弁証法神学)に学び、マルクス的知識社会学を確立したK・マンハイムに基づいて、理念と経験を総合する政治科学の体系化に努めた。著書は『政治学における方法二元論』(1928)、『独裁政治論』(1935)、『西洋政治思想史』全2巻(1951)など。日本政治学会理事長などの要職も歴任した。
[竹原良文]
『『今中次麿政治学論集』全7巻(1978・御茶の水書房)』