保守主義(読み)ほしゅしゅぎ(英語表記)conservatism

翻訳|conservatism

精選版 日本国語大辞典 「保守主義」の意味・読み・例文・類語

ほしゅ‐しゅぎ【保守主義】

〘名〙 現状維持や漸進的な改革をよしとする態度や考え方。〔改訂増補哲学字彙(1884)〕

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デジタル大辞泉 「保守主義」の意味・読み・例文・類語

ほしゅ‐しゅぎ【保守主義】

既成の思想や制度を尊重し維持するために、その変革に反対する政治的、社会的立場。⇔進歩主義

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改訂新版 世界大百科事典 「保守主義」の意味・わかりやすい解説

保守主義 (ほしゅしゅぎ)
conservatism

保守主義という言葉は,フランスのロマン主義者シャトーブリアンが,1818年に自分の政治雑誌に《保守主義者Le Conservateur》と命名したのが最初の使用とされている。しかし一般化するのは,イギリスで1830年代初めに第1次選挙法改正問題をめぐって,その時のトーリー党の中で,それまでの旧弊固持者というイメージを脱して秩序ある変革の擁護者としてのイメージに転換するべきだと考える人々が,〈保守党〉という名前を提唱し,それが1834年以降正式の党名に採用されてからであった。イギリス以外のヨーロッパ大陸で保守を名のる政党が多く成立するようになるのは19世紀後半以降であるが,この言葉の元来のイメージは,イギリスも含めてそれら保守党のイデオロギーと結びついた政治的なものであった。また,同じ19世紀中ごろ,〈保守主義〉よりは少し遅れて,自由主義的政治勢力の掲げる〈進歩主義〉という言葉も成立している。その意味では,ヨーロッパ資本主義の成熟に伴って,このほかにもたとえば〈社会主義〉〈ナショナリズム〉などの言葉を生んだ19世紀の政治思想論争が,それを生み出したといえる。

 保守主義という言葉は,今日ではそうした発生に由来するイメージのほかに,変革を嫌う現状維持的態度一般を指す漠然たる概念にまで拡大されてきている。この意味での保守主義は生活のさまざまな領域で発現するが,共通しているのは,未知への恐怖心,過去から受け継いだ習慣への固執といった,いずれも安全への本能的欲求に根ざした,個人または集団の心理的特性や態度の表れだということである。容易に理解されるとおり,政治的イデオロギーとしての保守主義は,この心理を自覚化し,積極的に価値化するところに成立するものではあるが,さりとて同じ言葉で示される両者の間に,つねに固定的対応関係があるわけではない。たとえば,ある政治的イデオロギーが,革新と進歩は主張するが同時にその社会の中ですでにイデオロギーとしての通用性を十分に獲得している場合には,心理的には保守的な傾向の強い人物でも,政治的にはその革新的イデオロギーを支持することは,しばしば観察される事実である。しかし,使用の頻度からすれば,この言葉の主要な意味は,発生以来今もなお政治的であるとみてよい。

政治的イデオロギーとしての保守主義は,社会主義や人権思想などとは異なって,人間一般にかかわる理論として定式化されたことはなく,むしろそうした普遍主義的政治理論を否定し,各国固有文化の価値を主張することが多い。そのことは,保守主義が何よりもまずヨーロッパ各国の保守政党のイデオロギーとして形成され,しかもそれらの政党が進歩主義や革新に対抗して維持しようとした秩序の内容が,時と所によって決して一様ではなかった,という事実からしても当然であろう。しかし,それにもかかわらず少なくとも成立期の保守主義には一定の共通項があった。それを定式化したのは,イギリスの政治家・政治思想家E.バークフランス革命を批判して書いた《フランス革命の省察》(1790)である。

 その中でバークは,革命フランスの本質を,新興の貨幣所有階級が貴族・僧侶の支配する伝統秩序を打破して自己利益を拡大するため,抽象的思弁を売物にする啓蒙思想家たちと手を組み,大衆を扇動して引き起こした破壊行動と断じた。いまや〈騎士道の時代は永遠に過ぎ去り,詭弁家,守銭奴,計算屋の時代がそれに続くであろう〉。しかし,それもフランスでみられるとおり,〈恥知らずの純粋民主制〉たる暴徒の支配によって,結局は社会そのものの崩壊と荒廃に導くであろう。バークはこのように,フランス革命とイギリスにおけるその支持者を批判する。彼は革命とそのイデオロギーの中に,フランスだけにとどまらない,全ヨーロッパ的規模での変革の兆しを読み取っていた。そして,フランス人権宣言の自由・平等・圧制への抵抗権の思想に対して,貴族という卓越した指導階層をもつイギリスの伝統的国家体制の中には,学問,宗教,徳,経済的豊かさなど人間世界におけるすべての積極的価値が実現されていると主張する。そしてイギリスでは,王と貴族と民衆,教会と国家,私有財産の便宜と所有者の社会的義務,自由と服従,理性と愛情,若さと成熟など,それら自体の間ではややもすれば矛盾しあいがちな諸要素が調和をなし,美しい統一的秩序に組み上げられていると説く。彼は,イギリスのこの完全な体制は中世以来の古い騎士道精神と,宗教改革以来の国教制キリスト教が結合し,長い歴史の中で切れめなく,熟成してきたとした。

 バークのこうした主張の背後には,理性による人間の進歩に対する深い懐疑,人間は放置されればとめどもなく利己主義無秩序に走るものであり,それゆえ,社会の中には権威と権力はつねに不可欠であるという悲観的人間観があった。そしてイギリス人の祖先の叡知はそれを巧みに克服してきたとみる。《フランス革命の省察》は発行とほとんど同時にフランス語に,1793年にはドイツ語に訳され,バーク自身は保守主義という言葉は知らなかったにもかかわらず,形成期の保守主義に決定的な影響を与えた。

 バークを受け継いだ保守主義のその後の展開は国によってさまざまであった。イギリスでは文学者のS.T.コールリジ,政治家のR.ピールや若き日のB.ディズレーリ(いずれも首相)などがその担い手であった。彼らは共通して,産業化と都市化による人間精神の退廃,とりわけ大衆の悲惨をつき,君主制の下にある貴族を指導階層としながら,その社会的義務感によって民衆の幸福が実現される調和社会を説いた。それは資本家に対する貴族と民衆の連合構想であったが,それが産業資本主義批判であった限り,発生期の社会主義と動機を共通にしている。違いは,大衆の自発的能力をどこまで信頼するか,ユートピアを基本的に歴史の過去に求めるか将来に求めるかであった。しかし,すでにそれまでも資本主義社会に適応しながら生き残ってきたイギリス貴族のイデオロギーとしての保守主義は,バークが決して資本主義的国家経営を否定しなかったように,19世紀においても歴史の大勢には逆らわず,産業社会のもたらす物質的富は是認し,また,民主主義が時代の指導的精神となるのをみるや,自分たちの主張こそ〈高貴な民主主義〉(ディズレーリ)であると主張しさえした。ここにイギリス保守主義の柔軟な現実適応と妥協の精神が形成されてくる。そしてこの点こそ,イギリス保守主義とフランスやドイツのそれとの差異でもあった。

 フランスでは,革命直後からウィーン体制期にかけてJ.M.deメーストルやシャトーブリアンなどが保守的な立場からの革命批判を行ったが,反動または伝統主義者と呼ばれた彼らは,バークよりももっと家父長主義的,身分制的,権威主義的であった。実際,妥協を排し犠牲を払っても,理想化された過去というユートピアの実現をめざしてたたかおうとした彼らの思想は,現実に柔軟に対応しようとする保守主義よりは,むしろ反動の名にふさわしい。反動主義者は,ユートピアを過去に求める点では保守主義者と共通するが,気質の点ではむしろ,多くの場合不安定な心理の持主である急進主義者に近い(したがって,反動をこの意味に用いれば,特定の社会主義的伝統に固執する態度を反動的左翼と呼ぶこともできる)。フランスでイギリス型の保守主義に近かったのは,ほとんどA.deトクビル一人であった。フランスよりもさらに資本主義の発達が遅れていた19世紀前半のドイツには,バークをバーク以上に封建的イデオロギーとして継承したK.L.vonハラー,A.ミュラー,F.J.シュタールなどがいた。彼らを対象にしてK.マンハイムが,《保守主義》(1927)の中でその特質を論じたのは,保守主義論の古典として有名である。しかし,ドイツで保守主義という言葉が盛んに用いられるようになるのは,実際はもっと遅れて1860年代以降,ビスマルクの指導の下に大地主(ユンカー)たちが資本家に転じていったころ,彼らのイデオロギーとしてであった。この場合,ドイツにおいてはもともと自由主義が弱体であったという事情も加わって,成立期イギリス保守主義のもっていた産業資本主義批判の性格は薄れ,伝統的共同体意識が強調される時の主たる目標は社会主義批判であった。同時にまた,反ユダヤ主義的,人種主義的ナショナリズムへの接近もみられた。こうした傾向はたんにドイツのみでなく,多かれ少なかれ19世紀末の保守主義に共通であった。同じ保守主義という名称で呼ばれていても,19世紀後半のそれは,前半のものとはかなり変質しているのである。

一般に保守主義と呼ばれ,または呼びうるイデオロギーには,次の二つの契機がからみあって混在し,それぞれ具体的な思想を形成していると考えることができる。その1は,人間理性の能力と進歩に対する懐疑的態度,または人間の無秩序への傾向を強調する悲観的人間観である。そこから生ずるのは,現に機能している限りでの既存秩序・制度尊重の態度である。なぜなら,歴史の将来へ向けての改善の希望がなければ,最善の選択は現状にとどまることだからである。こうした態度は,少なくとも経験的にみてあらゆる保守主義に共通な一種の定数項である。しかしこの態度は,それだけを推し進めれば結局はあらゆるユートピアの拒否からニヒリズムとならざるをえず,それでは,たとえ現状を正当化するためだけでも,有効な政治思想とはなりえない。そこで保守主義は,第2の契機として主として過去にモデルを求めたユートピアをもつことになる。しかしそれが具体的に何であるかは,個々の歴史的背景および,現存秩序の挑戦者の側で何が主張されているかによって,まったく可変的である。形成期のものと異なり,現在の保守主義(たとえばアメリカの新保守主義)は資本主義の枠内での漸進的改革,比較的に限定的な政府機能,さまざまの人間の活動について国家統制を否定した社会内諸集団の自律などを主張することが多いが,ここには一定の懐疑的態度とともに,明らかに20世紀の政治的経験が反映している。そして,上の二つの契機おのおのの濃淡の組合せによって,ある保守主義が反動に近づくか,リベラルで柔軟なものになるかの差異が生まれるのである。
急進主義 →反動
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「保守主義」の意味・わかりやすい解説

保守主義
ほしゅしゅぎ
conservatism

保守主義ということばには大きく分けて二つの用語法がある。その第一は、保守的な政治的イデオロギーをさすもので、その最初の使用は、1818年フランスのシャトーブリアンが自分の雑誌に『保守主義者』と命名したこととされている。その後まずイギリスで1835年、ついで19世紀なかば以降ヨーロッパ各国における保守を名のる政党の成立が背景となって、この意味での保守主義ということばが一般化した。保守主義の第二の用語法は、単に政治にとどまらず、事柄はなんであれ、進歩主義に対して、現状維持的態度一般をさすもので、この場合、未知への恐怖心、過去から受け継いだ習慣への固執といった、いずれも安全への本能的欲求に根ざした、個人または集団の心理的特性を表示する概念である。この意味での保守主義は、政治的イデオロギーとしてのそれとはかならずしも必然的な対応関係はなく、心理的に保守的傾向の強い人物が、政治的には革新的イデオロギーを支持したり、またその逆もあることは、しばしば観察される事実である。しかし、日常の用語法では、この第二の意味の保守主義は、一般に「保守的」という形容詞の中心の意味として存在はしているが、それが保守主義ということばの主たる用語法ではない。保守主義の本来の用語法は、その発生源が示すとおり、政治的イデオロギーとしてのそれである。

 政治的イデオロギーの保守主義の特徴は、たとえば人権思想や社会主義などとは異なって、人間一般にかかわる普遍的理論として定式化されたことがないことである。しかも、維持されるべき現状の内容が時と所によって同じではないから思想の具体的細目はさまざまである。しかし、このことばの発生源に近い1830年代のイギリスのピールやディズレーリ(いずれも首相)においては、君主政の下にある貴族を社会の指導階層としながら民衆の福祉を増進する社会こそ調和的理想社会とされ、しかもイギリスでそれは基本的にはすでに実現されていると主張された。この主張は、産業資本主義の支配とそのイデオロギーとしての自由主義に対する伝統的支配層の拒否反応であったが、新しい産業社会の非人間性に対する批判という点では、目ざす理想社会のイメージは反対であっても、発生期の社会主義とは双子の兄弟であった。事実、両者の支持者の社会層は貴族、農民、非熟練労働者など、同じであることが多かった。

 政治的イデオロギーとしての保守主義をめぐるこうした事情は、フランスやドイツでも同じであり、そこに、ある程度理論の共通性も生まれたが、そうした共通性の起源は、さらにさかのぼって、フランス革命に対する各国貴族の反応にある。その最初の理論家、イギリスのエドマンド・バークの革命批判の書『フランス革命の省察』(1790)は、各国語に翻訳され、少なくとも19世紀中期までは保守主義の聖典とされた。バークは、革命の本質を、貨幣所有階級が自己利益拡大のため、抽象的思弁にすぎない啓蒙(けいもう)思想を武器とし、下層大衆を扇動してつくりだしている「恥知らずの純粋民主政」にあるとして非難し、それに対して、イギリスの伝統社会には、人間社会のあらゆる矛盾の調和、あらゆる徳と完成がすでに実現していると論じた。しかし、バークのこうした激しいイデオロギー的態度の底には、同時に、理性による人間の進歩に対する深い懐疑、人間は放置されれば止めどもなく無秩序に走るものであるという悲観的人間観があった。バークの時代には保守主義ということばはまだなかったから、バークは保守主義者とは自称していない。しかし、シャトーブリアン以後の保守主義は、人間観までも含めてバークに多くを負うこととなった。

 農業中心の伝統社会と貴族支配の崩壊がもはや明らかとなった19世紀中期以降の各国の保守主義は、それが新しいブルジョア支配層の現状維持のイデオロギーとなったことからして、はっきり反社会主義の主張を前面に押し出すようになった。社会主義のインターナショナリズムに反対するためにも、ナショナリズムが主張され、帝国主義政策が支持された。今日の保守主義は、アメリカその他で新保守主義とよばれることもあるが、各国に共通なのは資本主義擁護と反共主義である。しかし、その支持層は以前よりもはるかに多様化しているとみられる。

 なお、保守主義は、不可避的な変化は現実的に認めていこうとすることが多く、この点で、同じく過去にユートピアを求めながら、妥協を排してかたくなにその実現を求める反動主義とは概念上区別されるし、実際、保守主義者と反動主義者とは性格類型としてかなり異なることが多いが、両者をイデオロギーによって区別するのは容易でない。日本では両者を一括した「保守反動」という成句が1890年代からあり、またフランスでは両者が共通に伝統主義とよばれることが多いのも、理由のないことではない。

[半澤孝麿]

『K・マンハイム著、森博訳『歴史主義・保守主義』(1969・恒星社厚生閣)』『H・セシル著、栄田卓弘訳『保守主義とは何か』(1979・早稲田大学出版部)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「保守主義」の意味・わかりやすい解説

保守主義
ほしゅしゅぎ
conservatism

既存の価値,制度,信条を根本的に覆そうとする理論体系が現れたときにこれに対する対抗イデオロギーとして形成される。「保守主義の宣言」ともいわれる『フランス革命に関する省察』を著わした E.バークは,人間のあらゆる制度の基礎は歴史であり,具体的な文脈のなかで長い時間をかけて培われてきたものだけが永続性をもつため,抽象的な哲学原理に基づく革命は挫折を運命づけられているとしている。バークは決して変化を拒絶しないが,それは既存のものの漸次的改良として果されねばならないと考える。歴史的・有機的な社会秩序への人為的介入の排除とその漸進的改革が保守主義の思想的特徴であるが,これは現代の F.ハイエクや M.オークショットにもみられる考え方である。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「保守主義」の解説

保守主義(ほしゅしゅぎ)
conservatism

変革を嫌い現状維持を願う心情とそれに由来する政治的思考ならびに行動。フランス革命の急進的変革に直面したイギリスの思想家バークの『フランス革命に関する考察』(1790年)がその最初の表明とされている。19世紀前半にフランス,イギリスにおいては,みずからそれを党名に掲げる政党の出現をみた。しかし維持すべき対象として意識する内容の違いから,その政治行動には大きな差異が認められる。イギリスの保守党は議会改革を受容したが,保守主義が政治的反動と結びつき,反革命を志向する場合も多くみられた。

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百科事典マイペディア 「保守主義」の意味・わかりやすい解説

保守主義【ほしゅしゅぎ】

現状の大幅な変革を望まない主義。英語でconservatismなど。なんらかのイデオロギーや原理に基づくよりも,日常的利益や生活を維持しようという精神や態度に根ざす。英国の政治思想家バークのいうように〈保守するために改良する〉のを拒まないのが常であり,現状を固定的に維持してそれを伝統や民族の名によってイデオロギー化するときは反動主義に近くなる。

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世界大百科事典(旧版)内の保守主義の言及

【イデオロギー】より

…この場合,イデオロギーとは集団や共同体に特徴的な一群の相互に関連し合った信念や社会的態度の総体のことを指しており,こうした信念や態度の総体をその基礎にあると考えられるパーソナリティの構造と結びつけて研究することが,その課題となっている。たとえば権威主義的パーソナリティと反民主主義的イデオロギー(ファシズム,自民族中心主義,反ユダヤ主義など)との関係(M.ホルクハイマーやT.W.アドルノの研究),保守主義ないしは急進主義的イデオロギーと剛直な気質tough mindないし柔和な気質tender mindとの関係(A.ファーガソンやH.J.アイゼンクの研究)などがそれである。なおイデオロギー論の歴史で見落とせないものとしてもう一つ,1950年代から60年代にかけてベルDaniel Bell(1919‐ )やリプセットSeymour M.Lipset(1922‐ )らによって喧伝された〈イデオロギーの終焉〉論がある。…

※「保守主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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