光源院(読み)こうげんいん

日本歴史地名大系 「光源院」の解説

光源院
こうげんいん

[現在地名]小鹿野町飯田

栗尾くりお沢の下流左岸、赤平あかびら川との合流点近くの谷あいの開けた所に立地する。万松山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。享禄二年(一五二九)の開創で、開山は甲州永昌えいしよう(現山梨市)五世の敬翁性遵であるが、性遵の没年が元亀二年(一五七一)であることを考えると、「風土記稿」が伝えるように永禄元年(一五五八)勧請開山として迎えられたとも考えられる。また大応隆通が開山と伝える史料もある。開基は現両神りようかみ村に移住した武田家一族の逸見若狭守義綱とされる。義綱は天文七年(一五三八)に死去しているが、永昌院の末寺である点などを考え合せても、武田氏との関係が非常に深い寺であったことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「光源院」の解説

光源院 こうげんいん

足利義輝(あしかが-よしてる)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android