八重崎検校(読み)ヤエザキケンギョウ

デジタル大辞泉 「八重崎検校」の意味・読み・例文・類語

やえざき‐けんぎょう〔やへざきケンゲウ〕【八重崎検校】

[1776?~1848]江戸後期の箏曲そうきょく演奏家・作曲家。京都で活躍。松浦・菊岡両検校石川勾当いしかわこうとうの作曲した地歌に、三味線とは異なる旋律を箏で加えて合奏曲とするなど、箏曲編曲に秀でた。

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精選版 日本国語大辞典 「八重崎検校」の意味・読み・例文・類語

やえざき‐けんぎょう やへざきケンゲウ【八重崎検校】

江戸後期の地歌・箏曲の演奏家、作曲家。京都の人。文化・文政期(一八〇四‐三〇)に京坂で活躍。「京物」といわれる三弦手事物の曲と箏との合奏法を大成した。安永五年頃~嘉永元年(一七七六頃‐一八四八

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改訂新版 世界大百科事典 「八重崎検校」の意味・わかりやすい解説

八重崎検校 (やえざきけんぎょう)

江戸後期の邦楽家。2人知られている。(1)大坂の地歌三弦家 生没年不詳。都名(いちな)はもと一。1763年(宝暦13)登官。端歌《いとしとはだ》《閨(ねや)の文》《袖頭巾》などを作曲。玉岡検校作曲の《八重咲》はこの人の追善曲。(2)京都の箏曲家(1776?-1848・安永5?-嘉永1) 都名は壱岐之都とされるが,登官記録には三保一(みほのいち)(1815登官)の名しか見当たらない。師は安村検校(?-1779)門下の浦崎検校(1801登官)。この八重崎の門人光崎,松野,2世松崎の検校がおり,2世松崎を経て,松阪春栄以下現在の京生田流下派が続いている。いわゆる京風手事物の箏の作曲者として,松浦検校菊岡検校光崎検校石川勾当らの三弦曲に,華やかな箏替手を作曲。なかでも菊岡作品が多い。主要曲は次のとおり。《四季の眺》《玉の台(うてな)》《新浮舟》《末の契》《四つの民》《若菜》(以上松浦検校),《磯千鳥》《今小町》《梅の宿》《楫枕(かじまくら)》《笹の露》《茶音頭茶の湯音頭)》《御山獅子》《夕顔》(以上菊岡検校),《七小町》《三津山》(以上光崎検校),《新青柳》《八重衣》(以上石川勾当)など。
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百科事典マイペディア 「八重崎検校」の意味・わかりやすい解説

八重崎検校【やえざきけんぎょう】

地歌・箏曲家。1815年検校となる。名は三保一(壱岐之一とも)。ことに箏の手付者として有名。化政期京都における代表的名演奏家で,松浦検校菊岡検校石川勾当などの地歌作品に新しく箏の旋律を加えて,箏・三弦の合奏を主眼とする京風手事物の全盛期を築いた。その手付による作品は《宇治巡り》《四季の眺》《八重衣》《新青柳》《茶音頭》《笹の露》など多数。
→関連項目笹の露竹生島茶音頭光崎検校御山獅子八重衣夕顔

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八重崎検校」の意味・わかりやすい解説

八重崎検校
やえざきけんぎょう
(1776?―1848)

江戸後期の生田流(いくたりゅう)箏曲(そうきょく)・地歌(じうた)の演奏家、作曲家。都名(いちな)壱岐之都(三保一かといわれるが不明)。1815年(文化12)検校登官。浦崎検校(1776―1848)の門下で、京都において師と河原崎(かわらざき)検校などが始めた地歌三絃(さんげん)曲に箏(こと)の手付けをつける作曲活動を受け継ぎ、「京流手事物(てごともの)」または「京風手事物」といわれる新様式を完成させた。彼は京都の地歌三絃曲の大半に箏の手付けをし、両者の音楽的な融合を図った。また、地歌三絃奏者菊岡検校との競演に関する逸話も多い。八重崎による箏の手付けは、松浦検校作曲の『新浮舟(しんうきふね)』『宇治巡(めぐ)り』『四季の眺(ながめ)』『末の契(ちぎり)』『玉の台(たまのうてな)』『四つの民』など、菊岡検校作曲の『磯(いそ)千鳥』『今小町』『楫枕(かじまくら)』『桂男(かつらお)』『笹(ささ)の露』『茶の湯音頭』『長等(ながら)の春』『舟の夢』『御山獅子(みやまじし)』『夕顔』など、光崎(みつさき)検校作曲の『七小町(ななこまち)』『三津山』、石川勾当(こうとう)作曲の『新青柳(しんあおやぎ)』『八重衣(やえごろも)』など多数に上る。門下に松崎検校や光崎検校などがいる。

[平山けい子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八重崎検校」の意味・わかりやすい解説

八重崎検校
やえざきけんぎょう

[生]安永5(1776)?
[没]嘉永1(1848)
盲人の箏曲演奏,作曲家。都名 (いちな) は壱岐之一。安村検校門下の浦崎検校の系統に属するとされ,門下に光崎検校,松崎検校らがいて,松崎からは松阪春栄以下現在の京都下派に伝承されているとされる。松浦検校菊岡検校石川勾当らの作曲の三弦曲の大部分に替手式の箏の手を編曲,いわゆる「京風手事物」の箏曲の大成者として知られ,これより,地歌と箏曲との区別が立てにくくなった。その箏の手の一部は『千重之一重』 (1833刊) に弦名譜で収められている。段物の替手も作曲し,『 (みだれ) 』『八段』 (京乱,二重八段ともいう) も八重崎の手になると伝えられる。

八重崎検校
やえざきけんぎょう

盲人の地歌演奏,作曲家。天明年間 (1781~88) 以前に大坂で活躍したと思われる。端歌の『菊流し』『袖頭巾』『ねやの文』などを作曲。門下に留都 (『おぼこ菊』を作曲) がいる。

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朝日日本歴史人物事典 「八重崎検校」の解説

八重崎検校

没年:嘉永1.9.11(1848.10.7)
生年:安永5?(1776)
江戸中・後期の箏曲家。京都で活躍した。名は壱岐之都。八重崎三保一(1815年検校登官)と同一人とする説もある。「京風(京流)手事物」といわれる化政期(1804~30)に京都で流行した三味線と箏の合奏法に大きな功績を残した。この合奏法は地歌三弦曲の手事物(器楽的間奏に比重のおかれた曲)に,三味線とは異なる変奏的な箏の旋律(替手)を付けたもの。現行の京風手事物のかなりの部分が八重崎の箏手付けとされる。その主なものとしては,松浦検校原作の「若菜」「新浮舟」「四季の眺」「宇治巡り」,石川勾当原作の「新青柳」「八重衣」,菊岡検校原作の「楫枕」「磯千鳥」「笹の露」「茶音頭」「夕顔」「長等の春」,光崎検校原作の「七小町」などがある(光崎検校は八重崎門下といわれる)。箏の名手としても名高く,菊岡検校と合奏して芸を競ったなどの逸話がある。なお生年には天明5(1785)年説も。

(千葉優子)

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世界大百科事典(旧版)内の八重崎検校の言及

【宇治巡り】より

…地歌・箏曲の曲名。三弦は松浦検校,箏は八重崎検校作曲。京風手事(てごと)物の代表作で,〈松浦四つ物〉(他に《四季の眺》《深夜の月》《四つの民》)の一つ。…

【楫枕】より

…地歌箏曲の曲名。三弦は菊岡検校,箏は八重崎検校作曲の京風手事物。文政・天保期の作。…

【西行桜】より

…歌詞は謡曲のクセの京都の桜の名所尽くしの部分を採っているが,物語の展開とは直接関係はない。箏の手は地域によって異なるが,京都では八重崎検校のが一般的。《八重霞(やえがすみ)》(または《越後獅子》)と《残月》とで《芸妓三つ物》といわれ,派手な曲の代表とされる。…

【笹の露】より

…《酒》とも。三弦は菊岡検校(1792‐1847),箏は八重崎検校(1776?‐1848)が作曲した京風手事物。島田両三作詞。…

【四季の詠(四季の眺)】より

…(2)四季の眺 地歌・箏曲の曲名。三弦は松浦検校,箏は八重崎検校作曲の京風手事物。《宇治巡り》《深夜の月》《四つの民》とで〈松浦四つ物〉とされる。…

【新青柳】より

…地歌・箏曲の曲名。三弦は石川勾当,箏は八重崎検校作曲の京風手事物。《八重衣(やえごろも)》《融(とおる)》とともに〈石川の三ツ物〉の一つ。…

【末の契】より

松浦検校作曲の京風手事物。箏本手を浦崎検校(1810登官),箏替手を八重崎検校が作曲したが,現在は,前半は本手を用い,〈荒磯伝ふ〉から替手の箏をつないで利用している。作詞は後楽園とも四明居(しめいきよ)とも号した三井次郎右衛門高英。…

【竹生島】より

…【横道 万里雄】(2)地歌 二上り端歌物。菊岡検校作曲,八重崎検校箏手付。竹生島の縁起を歌ったもので,最初に大阪の四天王寺から竹生島にいたる道行がつく。…

【茶音頭】より

…《茶の湯音頭》とも。三弦は菊岡検校,箏は八重崎検校作曲の京風手事物。ただし現行の箏の手は流派や地域によって異なる。…

【乱】より

…三味線曲化したものは,生田検校ないし深草検校の作曲と伝えられる。江戸の野田検校が,本雲井調子の替手を作曲しているが,京都などでは,平調子の替手が付けられ,八重崎検校の編曲と伝えられる。山田流箏曲では,能の《猩々(しようじよう)》からとった前歌を付すこともある。…

【御山獅子】より

…地歌・箏曲の曲名。菊岡検校作曲,八重崎検校箏手付。京風手事物の獅子物の代表曲。…

【八重衣】より

石川勾当(こうとう)作曲の地歌の手事物で,《融(とおる)》《新青柳》とで〈石川の三つ物〉とされる大曲。石川自身も弾きこなせない難曲であったが,宮原検校(?‐1864)が八重崎検校に箏の手を付けさせてから,一躍有名になったという。歌詞は《百人一首》の中の〈衣〉にちなむ和歌5首を,季節順に配して使用。…

【夕顔】より

…【横道 万里雄】(2)地歌・箏曲の曲名。三弦は菊岡検校(1792‐1847),箏は八重崎検校(1776?‐1848)作曲の京風手事物。1814年(文化11)版《新大成糸の節》に初出。…

※「八重崎検校」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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