デジタル大辞泉
「内野」の意味・読み・例文・類語
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ない‐や【内野】
〘名〙
① 野球で、本塁・一塁・二塁・三塁・本塁を結ぶ一辺九〇フィート(約二七・五メートル)
四方の場所をいう。ダイヤモンド。
※野球部史(1895)〈
中馬庚〉第一期の
有様「溜池球場なり内野は悉く
芝生なりし」
※野球(1897)〈中馬庚〉
守勢「
暫時も
ベースの
守備を空ふせす互ひに相補翼するは内野全体の大に勉むへき所なり」
うちの【内野】
京都市上京区南西部の旧地名。平安京大内裏
(だいだいり)の跡で、
豊臣秀吉の
聚楽第
(じゅらくだい)があった。内野の原。
うちぬ。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
内野
うちの
新潟市西部の一地区。旧内野町。JR越後線(えちごせん)が通じ、国道116号と402号が並走する。第二次世界大戦前は蒲原(かんばら)砂丘裏の旧鎧潟(よろいがた)干拓の排水河川として掘り割られた新川に沿う地方の買い物町としてにぎわっていた。その後、砂丘上の五十嵐(いからし)地区が新潟大学の学園地区に指定され、1980年(昭和55)医・歯学部を除く7学部が移転した。新川の河口には大排水場があり、鎧潟の干拓を成功させた。その河口は漁港になっている。
[山崎久雄]
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内野
うちの
福岡県中部,飯塚市南西部の旧村域。 1889年村制施行。 1955年上穂波村,大分村の一部と合体して筑穂町となり,2006年飯塚市,穂波町,庄内町,頴田町と合体して飯塚市となる。冷水峠の北麓にあり,長崎街道沿いに発達した旧宿場町。筑前六宿の一つ。 JR筑豊本線,国道 200号線が通る。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報