勧進聖(読み)カンジンヒジリ

デジタル大辞泉 「勧進聖」の意味・読み・例文・類語

かんじん‐ひじり〔クワンジン‐〕【勧進聖】

諸方勧進して歩く遊行ゆぎょうの僧。特に時宗の僧で、芸能に堪能な者が多かった。勧進僧。勧進坊主

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精選版 日本国語大辞典 「勧進聖」の意味・読み・例文・類語

かんじん‐ひじり クヮンジン‥【勧進聖】

[1] 〘名〙 諸国を巡り歩いて勧進②を行なった僧。または、それを名目に遊行した乞食僧。勧進上人。勧進僧。勧進坊。勧化僧(かんげそう)。勧進坊主。
大乗院寺社雑事記‐康正三年(1457)三月八日「信貴山塔婆造立の捧伽帳、彼寺勧進聖持参」
※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二四「焼出しの鉢にて招く西の空 夫(それ)思日たつ勧進ひぢり」
[2] 狂言。和泉流、大蔵流。能「白髭(しらひげ)」の替間(かえあい)。勧進聖が鮒(ふな)の精の神徳によって道者から寄付を得るという筋立て。大蔵流では「道者」という。

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改訂新版 世界大百科事典 「勧進聖」の意味・わかりやすい解説

勧進聖 (かんじんひじり)

寺院の堂塔,仏像,鐘,あるいは各地の橋梁などの造立・修復のために資財金品)を募りに回国する僧。神宮寺の社僧が神社再建のために勧進することもあった。勧進原義衆生救済のために,諸国を歩いて念仏を勧めることにあったが,莫大な経費を必要とする堂塔などの創・再建の資財調達を主目的として回国する聖を勧進聖と称するようになった。東大寺大仏造営を成就させた行基や,同じく東大寺大仏殿の再建に活躍した造東大寺勧進職の俊乗坊重源(ちようげん)は史上著名な勧進聖である。資財募集の際には念仏や作善(さぜん)の功徳(くどく)を説いたので,結果的には仏教の民間布教につながった。中世には著名,無名の多くの勧進聖・勧進比丘尼(びくに)が回国し,寺堂の創・再建のみならず唱導文学や芸能の発展にも寄与した。近世には大寺の僧による御免勧化(ごめんかんげ)が見られたが,他方勧進聖が物乞いをする門付芸人に化す現象も生じた。
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百科事典マイペディア 「勧進聖」の意味・わかりやすい解説

勧進聖【かんじんひじり】

諸国を廻って勧進を行った僧。勧進僧・勧進上人(しょうにん)・勧化(かんげ)僧などともいう。勧進は本来は衆生(しゅじょう)の救済のため諸国をめぐって念仏を勧めることで,のちには寺院(あるいは神社)の堂塔や仏像,鐘,または橋などの造立に要する資財を調達することを目的にする聖を勧進聖と称するようになったが,これに伴って仏教の民間布教にもなっていた。奈良期の行基(ぎょうき),鎌倉期の俊乗坊重源(ちょうげん)らのほか多数の勧進聖・勧進比丘尼(びくに)らが活動し,芸能の流布にも貢献した側面がある。後代には勧進を名目に遊行した乞食僧が現れ,門付(かどつけ)芸人となる例もみられた。
→関連項目鑁阿

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「勧進聖」の解説

勧進聖
かんじんひじり

人々を仏道に導き,寺社の造営・修復,造像,土木事業など作善(さぜん)に結縁させることを勧める遊行の僧。勧進は勧誘策進のことだが,中世以降は作善を行うための募金行為を意味するようになった。行基(ぎょうき)が起源とされ,鎌倉時代に東大寺を再建した重源(ちょうげん)は著名。平安末期以降,寺社の再建に大いに活躍したが,多くは半僧半俗の姿で一宗一派に偏せず,諸国を遊行しながら募財に努めた。

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世界大百科事典(旧版)内の勧進聖の言及

【勧進】より

…狭義には後者を指す。とくに中世の戦乱による寺社の炎上や寺社領の衰退のため,勧進聖(ひじり)や御師(おし)たちが諸国を回り,勧進帳を読みあげて,たとえ一紙半銭といえども喜捨すれば神仏の加護を得ると説き,結縁(けちえん)を勧めて資財を集め,社寺の復興に努めた。金品募集の手段として神仏の功徳を説く方法は,14世紀中葉には《師守記》の1364年(正平19∥貞治3)の条に〈薬王寺勧進猿楽〉とあるように,芸能によることもあり,近世には〈勧進相撲〉〈勧進芝居〉も広く行われるようになった。…

【勧進帳】より

…一般に造営・修復の発願趣旨を述べ,誦経・念仏の功徳,あるいは造寺,造像,造塔,写経,架橋などの作善(さぜん)に参加すれば現世利益や自他の浄土往生が達成されると説き,金品寄進を呼びかける内容となっている。勧進聖(ひじり)はこれを衆庶に読み聞かせたり,閲覧させたり,頒布して一紙半銭の喜捨を求めた。重源(ちようげん)が1181年(養和1)に始めた東大寺大仏殿再建のための勧進文は著名。…

【高野聖】より

高野山を中心にして,全国に活躍した勧進聖。聖は古代宗教家の総名であったが,奈良時代から民間僧を指すとともに,半僧半俗の私度僧を指すようになった。…

【聖】より

…都鄙の庶民を教化し,庶民仏教の展開に主導的役割を果たしたのは実にこの聖たちであった。山林に入って断穀不食の苦修練行を積んだり,本寺から離れて別所や村里に隠遁したり,あるいは廻国遊行(ゆぎよう)して念仏,造寺,造仏,写経,鋳鐘,架橋などはば広い勧進(かんじん)活動を行い,穀断(こくだち)聖,十穀聖,別所聖,隠遁聖,廻国聖,勧進聖などその特徴から多様な呼称が生まれた。唱導文芸や芸能にも活躍し,唱導聖などとよばれ,また聖が多く集まる拠点にちなんで善光寺聖(善光寺),四天王寺聖,高野聖などと称された。…

※「勧進聖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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