北アイルランド(読み)きたアイルランド(英語表記)Northern Ireland

翻訳|Northern Ireland

精選版 日本国語大辞典 「北アイルランド」の意味・読み・例文・類語

きた‐アイルランド【北アイルランド】

(アイルランドはIreland) アイルランド島北東部の地方。中心都市ベルファストスコットランド系移民の子孫が多く、アイルランド独立後も英国領にとどまった。プロテスタント系とカトリック系との間に紛争が続いたが、一九九八年に和平合意が達成された。

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デジタル大辞泉 「北アイルランド」の意味・読み・例文・類語

きた‐アイルランド【北アイルランド】

アイルランド島北東部の地方。中心都市ベルファストスコットランド系移民の子孫が多く、アイルランド独立後も英国領にとどまった。プロテスタント系とカトリック系との間に深刻な紛争が続いている。

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改訂新版 世界大百科事典 「北アイルランド」の意味・わかりやすい解説

北アイルランド (きたアイルランド)
Northern Ireland

イギリス連合王国を構成する地方で,アイルランド島北東部を占める。ノース海峡をはさんでスコットランドに対し,西と南はアイルランド共和国と国境を接する。面積1万4146km2(全島の約1/6),人口169万(2001)。アントリム高原やモーン山脈,スペリン山脈が周辺部に位置するが,中央部にはイギリス最大のネイ湖とその流出河川であるバン川を中心に平野が展開する。気候は温和であるが,偏西風の風下にあたるため,年降水量は700~1250mm程度である。資源に乏しく,主要産業は農牧業が占めている。低地では,ベルファスト周辺と南西部のアーン川中流に酪農が,北西部のフォイル川流域と中部のバン川流域に大麦,ジャガイモおよび肉牛,豚による混合農業がそれぞれ卓越するほか,ネイ湖南岸では園芸農業も発達するが,特産品であった亜麻の栽培は衰退した。これに対し高地は,肉牛,肉用羊の放牧・肥育地帯となっている。工業は中心都市のベルファストと第2の都市ロンドンデリーに集中しており,前者はリンネル,造船業に,後者は衣料工業に特色を有している。全域がアルスター地方に属し,行政的には6県とベルファスト,ロンドンデリーの2自治都市に区分される。総人口の約60%がスコットランドから植民してきたプロテスタント系住民で,特にアントリム,ダウンの東部2県に多い。このため南部から西部にかけて居住するカトリック系住民との紛争が絶えない。
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アイルランドの,イギリスからの自治・独立を要求する運動は第1次大戦後激化し,1922年にはアイルランド自由国(現,アイルランド共和国)が成立する。しかしこの間,イギリスとの利害が一致し,かつプロテスタント系人口が多いアイルランド島北東部は,アイルランド統治法(1920)によって北アイルランドとしてイギリス連合王国にとどまり,独自の議会をもつことを認められた。北アイルランド議会はイギリス国王と上院,下院からなり,1921年6月に国王ジョージ5世の臨席の下で発足した。しかしこの議会の主権は限定されており,外交権,交戦権,関税や国税に関する諸権限などは持たず,またロンドンのウェストミンスター議会の定める法に反する決定はいっさい許されなかった。第1回総選挙は21年5月にイギリス諸島内最初の比例代表制方式で行われ(1929年に通常の票数方式に変更),以後72年まで,ユニオニスト党(イギリス領にとどまることを絶対の方針とするプロテスタントの政治組織)が政府を独占した。そして,プロテスタントの支配を維持するために,政治的・経済的にカトリック系住民を差別する政策が徹底してとられた。

 北アイルランド政府は発足当初からIRA(アイアールエー)の存在という難題をかかえていた。カトリック系住民を背景にもつIRAは,北アイルランドの存在自体を否定し,アイルランド全島のイギリスからの分離,独立共和国化を進めようとする。これに対し政府は1922年特別権限法を制定し,IRA容疑者の予防拘禁などの権限を内相に与えた。さらに,選挙区の徹底したゲリマンダリングゲリマンダー)と地方税納付額による選挙資格の制限,会社への投票権付与(実際には社長の二重投票権)などによりプロテスタント系の地方議員の当選を確実にし,政策面でも公営住宅への入居などでプロテスタント系を優遇した。歴代首相,閣僚,ユニオニスト党議員のほとんどをオレンジ結社会員で固めるなど,徹底したプロテスタント優位体制がしかれてきた。また,イギリスでは珍しく警察は武装しており,そのほとんどがプロテスタント系である。国防軍を持たない北アイルランド政府は,〈治安維持〉をおもにこの武装警察で行っていた。

 第2次大戦中アイルランド共和国が中立であったため,北アイルランドはヨーロッパ反攻の基地として重要な役割を果たし,これを機に経済は著しく好転した。しかし,戦後は再び停滞し,特にカトリック系の失業率が高くなった。現在の北アイルランド紛争は,当初〈1人1票〉〈カトリックにも平等な市民権を〉といった要求をかかげた68年の市民運動に端を発する。IRAを主とするカトリック系住民の民族独立運動が再燃し,これに対するプロテスタント側の武力抵抗を生んだ。北アイルランド政府に解決能力なしと見たイギリス政府は,イギリス軍を派遣し,72年北アイルランド議会を停止し,ロンドンからの直接統治を行った。以後,カトリック,プロテスタント双方の住民を代表する政府の樹立を試みたが,成功せず,今日にいたっている。68年以降のテロによる死者は一般市民を含め約3000人,3万人以上の負傷者が出ている。81年からは,カトリック系とプロテスタント系の子弟を同じ学校で学ばせることにより,幼少時からの相互理解を促す工夫が一部でなされている。85年,イギリス,アイルランドの両首相が閣僚委員会,議員評議会の設置などを骨子とする合意文書に調印した。

 1994年8月末にIRAは停戦を宣言するが,問題解決の糸口すらつかめぬまま17ヵ月がすぎて,96年2月にはIRAのテロが再開された。同年5月和平会議代議員の選挙が北アイルランドで行われ,6月から代議員,イギリス政府,アイルランド共和国政府からなる和平会議が開始された。しかし,IRAの再停戦をシン・フェーンの出席の条件としたことから,実質的討議には入れぬまま1年が過ぎ,97年7月IRAの再停戦の後,話合いが進みはじめていた。平和回復によりその後,北アイルランドへのアメリカの投資も増加し,経済再建が急テンポで進んでいる。その後,97年イギリスで労働党のブレア政権が成立して以後,アメリカの仲介による和平交渉が98年4月合意に達し,北アイルランド自治政府の設置を軸として,自治政府とアイルランド政府の対話機関やイギリス・アイルランド両政府を交えた調停機関の新設に向かうこととなった。
アイルランド →アイルランド問題
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北アイルランド」の意味・わかりやすい解説

北アイルランド
きたあいるらんど
Northern Ireland

イングランド、ウェールズ、スコットランドとともに、イギリス(連合王国)を構成する一地域。アイルランド島の北東部を占める。面積1万3576平方キロメートル、人口168万5267(2001)。首都は東岸のベルファストで、北アイルランド人口の約4分の1が集中する。アイルランド島の四大地域区分の一つアルスターとほぼ重なるが、アルスターは北アイルランド全域のほかに、アイルランド共和国のキャバン、ドニゴール、モナハン3県を含むより広い地域をさす。北アイルランドはアントリム、アーマ、ロンドンデリー、ダウン、ファーマナ、タイロン(ティローン)の6県と、ベルファスト、ロンドンデリーの2特別市(カウンティ・バラ)からなっていたが、地方制度改革が行われ、1996年以降は26の行政地区に再編された。17世紀の初頭以降、グレート・ブリテン島からプロテスタントによるいわゆる「アルスター植民」が行われ、アイルランドのカトリック系住民と対立した。アルスターのうち、現在アイルランド共和国に所属する前記の3県は1922年に分離して共和国に編入された。政治形態は1999年12月に北アイルランド自治政府が設立され、10人からなる初内閣が発足したが、2002年10月に起きたアイルランド共和軍(IRA)の政治組織、シン・フェイン党のスパイ活動疑惑を発端とする自治政府内の混乱を受け、イギリス政府の直接統治が復活した。以降、北アイルランドにおける自治は停止していたが、2005年7月IRAが武装闘争終結を宣言したため、2006年5月イギリス政府は自治政府再開を協議するための議会を招集。2007年3月には自治議会選挙が行われた。その結果、長年にわたる紛争で対立を続けたプロテスタント強硬派の民主統一党(DUP)とカトリック過激派IRAのシン・フェイン党により連立政権が行われることとなり、2007年5月北アイルランドの自治政府が4年7か月ぶりに復活した。自治政府首相には民主統一党のペイズリーIan Paisley(1926―2014)、副首相にはシン・フェイン党のマクギネスMartin McGuinness(1950―2017)が就任した。北アイルランド議会は定数が108人。イギリス下院に18名の議席を確保している。

 北東部には緻密(ちみつ)な玄武岩からなるアントリム台地があるほか、台地、丘陵と低地が交互に入り組む。イギリス最大のネー湖からバン川が北流する。河川水運が行われ、マスなどの淡水魚を中心とする漁業が盛んである。気候はメキシコ湾流と偏西風の影響を受け、内陸部でも最寒月5~6℃、年降水量は西部で1000~1500ミリメートル、高緯度にありながら比較的温暖かつ湿潤である。低地は北アイルランドでもっとも肥沃(ひよく)な土地で、気候は温和、年降水量は890ミリメートルである。おもな農業形態は混合農業で、農地の85%は改良草地である。ベルファスト近郊では果樹園芸、生乳生産が卓越し、ネー湖の周辺、旧ファーマナ、タイロン2県では酪農とブタや家禽(かきん)の集約的飼育が行われる。アントリム高原、モーン山地、スペリン山地は天然の放牧地に恵まれ、牧羊に専門化している。伝統産業のリンネル製造地域はほとんどベルファストのレーガン谷、コールレーン、ロンドンデリーに集中する。ロンドンデリーは衣料産業でも知られる。工業人口の約2分の1はベルファストに集中する。ここでは造船、機械、電子工業、たばこ製造、食品加工などが発達し、原料、市場ともイギリス本国とアイルランド共和国を中心とした貿易依存型の工業が多い。最大の貿易港はリバプールへ315キロメートルのベルファストで、ロンドンデリーがこれに次ぐ。アントリム台地北西部の「巨人の土手」とよばれる景勝地では、スコットランド西岸マル海岸沖にあるスタファ島のフィンガル洞窟(どうくつ)とともに、柱状節理の発達した玄武岩がみられる。

[米田 巌]

『堀越智著『北アイルランド紛争の歴史』(1996・論創社)』『ダン・フィルビン著、松原恭子訳『目で見る世界の国々48 北アイルランド』(1997・国土社)』『イアン・ミニス著、宮崎真紀訳『世界の紛争を考える5 北アイルランド紛争』(2003・文溪堂)』『ポール・アーサー、キース・ジェフェリー著、門倉俊雄訳『北アイルランド現代史――紛争から和平へ』(2004・彩流社)』『尹慧瑛著『暴力と和解のあいだ――北アイルランド紛争を生きる人びと』(2007・法政大学出版局)』『一木久生著『ピースライン――北アイルランドは、今』(2007・作品社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北アイルランド」の意味・わかりやすい解説

北アイルランド
きたアイルランド
Northern Ireland

イギリスアイルランド島北東部を占める地域。イングランドウェールズスコットランドとともにイギリスを構成する。首都ベルファスト。地形は中部東寄りにあるイギリス最大の湖ネー湖を底面とした深皿にたとえられ,縁にあたる部分は北東部のアントリム高原,南東部のモーン山地,北西部のスペリン山地などからなる。最高峰はモーン山地のスリーブドナード山(852m)。氷河作用による浸食で山容は全体に穏やかで,低地には漂礫土によるドラムリンが発達。気候は暖流である北大西洋海流偏西風の影響で,夏涼しく冬暖かい西岸海洋性気候を示す。経済はイギリス本土と密接に関連し,基本的に農業国である南のアイルランドに比べて工業が発達,輸出品の大半は工業製品である。主要工業は機械,造船,自動車,繊維,食品,化学などで,ベルファストを中心に立地する。17世紀頃スコットランドなどからの移住者によって始められたリンネル工業は世界的に有名であったが,安価な化学繊維に押されて需要が減少した。全体の約 4分の3が農地となっており,農業も盛ん。混合農業が中心であるが,特に牧草地が広く,畜産に重点がおかれ,農業生産の 80%以上が畜産物による。ネー湖周辺と南東部の低地では酪農が発達。
古くからアルスターと呼ばれる地方で,17世紀初め頃まではアイルランド島のほかの地域と同じ歴史をたどるが,17世紀半ばアルスターの反乱が鎮圧されたのち,この地方にイングランドやスコットランドからプロテスタントが入植するようになってから別個の道を歩みはじめ,カトリック系の南部に対してプロテスタント的色彩が濃くなった。1886年ウィリアム・E.グラッドストンがイギリス議会にアイルランド自治法案を提出して以降,アルスターのプロテスタントはカトリック多数派による支配を恐れ,1912年第3次自治法案が成立しそうになると決起し,アルスターを自治から除外することを要求。この第3次自治法案は 1914年に下院を通過したが,第1次世界大戦の勃発により実施されないまま,1920年アイルランドに南北二つの議会を設置することを定めたアイルランド統治法が成立。南アイルランドはその後,アイルランド自由国と呼ばれる自治領を経て,1949年イギリス連邦から離脱し独立した共和国となったが,アルスター 9県のうち 6県は「北アイルランド」としてイギリスの統治下にとどまった。しかしその後,北アイルランドでは住民の約 3分の2を占めるプロテスタント系住民による少数派のカトリック系住民に対する政治的,経済的差別が続いたため,カトリック系住民の不満を招いた。1960年代末に始まった両者の武力抗争は 1980年代に鎮静化をみせ,1990年代に入り終息に向かった(→北アイルランド紛争)。行政的には 1973年に県が廃止され,26地区に改編された。面積 1万3562km2。人口 181万863(2011)。(→アイルランド史

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百科事典マイペディア 「北アイルランド」の意味・わかりやすい解説

北アイルランド【きたアイルランド】

アイルランド島北東部を占める地方で,イギリス連合王国に属する。北東部に玄武岩台地アントリム丘陵があるが,土地は一般に低平で,気候も湿潤である。混合農業を主とし,エンバク,ジャガイモ,オオムギ,牧草が作られる。主都ベルファストを中心に麻織物・機械・造船工業が集中し,農業国であるアイルランドと対照的に工業が発達。17世紀以降イングランドやスコットランドからの植民が行われ,人種的・宗教的に独自の地域を形成,住民はスコットランド系,ケルト系で,宗教はプロテスタントが約3分の2,カトリック教徒が約3分の1。1920年のアイルランド統治法,1922年のアイルランド自由国法によって,アルスター9州のうち6州は〈北アイルランド〉として南アイルランドから分離した。 1968年ころから少数派のカトリック教徒による権利闘争が激化,1969年以後非合法のアイルランド共和軍(IRA,その合法的政治組織がシン・フェーン党)を中心に英軍,プロテスタントと武力衝突に発展。1975年,英国政府とIRAの間で無期限停戦協定が締結され制憲議会が開かれたが,プロテスタント系強硬派の反対で再び事態は泥沼状態となり,IRAはゲリラ活動を激化させた。一時休戦したものの,テロ行為はつづいてきたが,1996年6月以降交渉が再開,英国のブレア労働党政権が1997年に登場して以後進展し,主要8政党の円卓会議などをへて,1998年4月英国・アイルランド両国首相は北アイルランド和平の包括的な合意に署名した。その内容は,北アイルランドに地方議会を新設(定数108),北アイルランド地方議会とアイルランド共和国議会の代表で構成する南北評議会を新設,この和平合意は北アイルランドの住民投票,アイルランド共和国の国民投票により賛否を問うなど。同年5月の住民投票で70%余の賛成を得,6月の北アイルランド地方議会の選挙で和平合意派のアルスター統一党が第一党となった。同年10月,社会民主労働党(カトリック穏健派)のヒューム党首,アルスター統一党(プロテスタントの第一党)のトリンブル党首にノーベル平和賞が授与されることになった。1万4130km2。181万863人(2012)。
→関連項目アイルランドアイルランド問題イギリス

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世界大百科事典(旧版)内の北アイルランドの言及

【アイルランド】より

…正式名称=アイルランドÉire(エール=アイルランド語)∥Ireland(英語)面積=7万0285km2人口(1996)=359万人首都=ダブリンDublin(日本との時差=-9時間)主要言語=アイルランド語,英語通貨=アイルランド・ポンドIrish Poundヨーロッパ北西部,アイルランド島にある共和国。アイルランド共和国は憲法で全島を国土と規定しているが,現実にはイギリスに属する北アイルランドを除く島の約8割を統治している。なお,〈北アイルランド〉の項も参照されたい。…

【イギリス】より

…正式名称=グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland面積=24万4792km2人口(1996)=5848万9975人首都=ロンドンLondon(日本との時差=-9時間)主要言語=英語通貨=ポンドPoundヨーロッパ大陸の西方に位置する立憲王国。正式の国名は〈グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国〉で,〈英国〉とも呼ばれる。…

【英愛条約】より

…1919年1月に始まったアイルランド独立戦争を終結させ(1921年7月休戦),アイルランドがカナダ,オーストラリア,ニュージーランドと同じ自治領の地位をイギリス帝国の中で保持し,アイルランド自由国と称すことなどを定めた。ただし,20年12月に成立したアイルランド統治法に基づきすでに21年6月より発足していた北アイルランド議会はそのまま存続し,北と南の境界は南北各1名の代表とイギリス政府の任命する議長の3者からなる国境委員会で改めて定めることとした。北アイルランドの分離を認めるか否かなど,この条約をめぐってアイルランドでは賛成派と反対派の間で内戦がおこるが,賛成派が勝利をおさめて,22年12月にアイルランド自由国が発足した。…

※「北アイルランド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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