厚東義武(読み)ことうよしたけ

世界大百科事典(旧版)内の厚東義武の言及

【厚東氏】より

…長門国厚東郡厚東(現,山口県宇部市大字厚東)を本拠とした平安~南北朝期の武家。物部氏を称す。物部守屋の末とする系図もあるが,長門国の各地に物部姓の家が存在しており,厚東氏も長門系物部氏の一族と思われる。平安後期から厚東郡司や後の守護の前身の一つ押領使に任じ,鎌倉時代には鎌倉御家人となったようで,弘安の役では博多で参戦したらしい。建武政権下で厚東武実が守護となったのは,長門探題北条時実と戦った武功と平安時代の押領使という家柄によるものだろう。…

【長門国】より

… 1355年(正平10∥文和4)ころから周防の宮方(南朝)守護大内弘世が長門攻略を開始する。この時期九州で宮方が優勢となり,境を接する長門が弱体化するとみてのことらしく,57年(正平12∥延文2)末には長門をほぼ制圧し,翌年1月厚東義武は九州豊前へ逃亡した。厚東氏は59年長門へ上陸したが敗れてまた九州へもどった。…

※「厚東義武」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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