出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
現皇居の内苑。旧江戸城の北西部にあり,名称の由来は同地が池沼に臨み,風が下より吹き上げる地勢によるという。徳川氏の入国前は局沢(つぼねさわ)と称し,16ヵ寺があり庶民の遊山所であったが,江戸城の造営により後苑に当てられたもの。面積は約13万坪あり,初めは尾張以下の御三家,親藩などの邸宅が置かれたが,明暦の大火(明暦3・1657)後は防火の点から空地とし,庭苑として整備された。すなわち,3代家光の花畑御殿の造苑に始まり,5代綱吉,6代家宣のときに大いに拡張整備された。ことに家宣は造園を好み,全国から珍石,銘木を集め,茶亭を造り,池沼をうがち,またこれを統轄する職として吹上花畑奉行を新置した。8代吉宗は華美にわたるものを撤廃して薬園を置くなど実用本位に改め,10代家治,11代家斉のときにも手が加えられた。明治維新後は本城とともに朝廷に収められて皇居の御苑となり,若干修築されて今日に至っている。
執筆者:川田 貞夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
皇居の南西にある庭園。面積は30~40万平方メートルといわれる。苑内を川が流れ、林が茂り、武蔵野(むさしの)のおもかげを残している。江戸城西の丸の背後にあり、5代将軍綱吉(つなよし)の時代に拡張整備され、6代家宣(いえのぶ)は1710年(宝永7)に吹上奉行(ぶぎょう)を置いて、庭園を管理させた。8代吉宗(よしむね)は薬園などを設け、それまでの遊覧を目的とした庭園を実用的なものに改めた。1869年(明治2)東京遷都で西の丸が皇居とされると、そのまま御苑となり、霜錦(そうきん)亭、寒香(かんこう)亭などのお茶屋がつくられ、明治天皇はよく宴を催した。1961年(昭和36)天皇の私邸である吹上御所が御苑内につくられ、一般人の立入りは禁止されている。
[吉田早苗]
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