和気広虫(読み)わけのひろむし

精選版 日本国語大辞典 「和気広虫」の意味・読み・例文・類語

わけ‐の‐ひろむし【和気広虫】

奈良末・平安初期の女官和気清麻呂の姉。孝謙天皇信任厚く、天皇落飾とともに髪をおろして法均尼という。藤原仲麻呂の乱の処刑者の減刑や乱後の捨て子の収容などを行なった。清麻呂の事件に連坐して還俗し、備後国広島県)に流されたが、のち許されて従四位下典蔵に叙任され、典侍、正四位下にすすむ。天長二年(八二五正三位を追贈された。天平二~延暦一八年(七三〇‐七九九

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デジタル大辞泉 「和気広虫」の意味・読み・例文・類語

わけ‐の‐ひろむし【和気広虫】

[730~799]奈良末期・平安初期の女官。備前の人。清麻呂の姉。法名、法均尼。清麻呂とともに称徳天皇仕え宇佐八幡神託事件に連座し、備後びんごに配流。のち、許されて桓武天皇に仕えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「和気広虫」の意味・わかりやすい解説

和気広虫 (わけのひろむし)
生没年:730-799(天平2-延暦18)

奈良中期から平安初期に後宮に仕えた女官。ことに孝謙(称徳)女帝に重んぜられた。清麻呂の姉。その名が史料にはじめてみえるのは762年(天平宝字6)女孺,豎子として天皇の勅を伝宣したときで,同年孝謙上皇の出家にしたがい尼となり,法均尼を称した。当時,郡司の子女は采女(うねめ)として出仕したから,広虫もこの例に従い備前国藤野郡より出身したのであろう。そして葛木戸主かつらぎのへぬし)と結婚した。戸主は中宮職,のち皇后宮職(紫微中台)の官人となったから,広虫も後宮で天皇,上皇の側近としての地位を占めたものと思われる。称徳女帝のもとで従五位下,さらに従四位下に准ぜられ,封戸を賜ったが,道鏡の宇佐八幡宮神託事件にさいし清麻呂とともに除名され,備後国に流された。光仁天皇の即位で770年(宝亀1)京に召され,もとの従五位下に復し,従四位下,典蔵(くらのすけ)となり,桓武天皇のもとで789年(延暦8),典侍(ないしのすけ),従四位上として勅を伝宣している。70歳で没したときは典侍,正四位上で,のち正三位を贈られた。その伝に,藤原仲麻呂の乱連座者の減刑を願って許され,孤児を養子として育て,人となり貞順,節操に欠くるところなく,桓武天皇にはなはだ信重されたとある。
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朝日日本歴史人物事典 「和気広虫」の解説

和気広虫

没年:延暦18(799)
生年:天平2(730)
奈良時代の女官。和気乎麻呂の娘,清麻呂の姉。藤野別真人広虫女,法均ともいう。15歳で葛木戸主の妻となり,孝謙天皇に仕えて信任を得る。天平勝宝8(756)年12月,それまで衣糧を与えて養育していた京中の孤児のうち成人した男9人,女1人を養子とした。天平宝字6(762)年孝謙上皇の出家に従って尼となり,法均と号した。また同8年,恵美押勝の乱で斬刑に相当とされた375人は,彼女が上皇を熱心に諫めたことにより死刑を免れ流罪となった。さらにこの乱後,庶民は飢えと疫病に苦しみ捨て子が続出するが,うち83人の子供たちを救い養子にした。神護景雲3(769)年,道鏡即位という宇佐八幡の託宣が伝わり,その真偽を確かめるための使者に選ばれるが,遠路に耐え難く,弟の清麻呂が代わって宇佐に赴き道鏡を退ける神託を奏上。このため共に処罰され,還俗して別部狭虫と名を改め備後国に流された。しかし宝亀1(770)年,称徳天皇の急逝で道鏡は失脚し,光仁天皇の即位後,清麻呂と共に配所より召し返され従五位下に復した。同5年に和気朝臣を賜り,同8年従五位上,天応1(781)年正五位上,従四位下と昇叙。このころ典蔵に任ぜられ,延暦4(785)年従四位上,同8年に内侍司典侍となる。諸侍従の臣に対する後世の評価は毀誉入り乱れているものだが,広虫についてはいまだかつて悪くいう者はいない。若くして夫に死別したが,貞順にして節操に欠けるところがなかったともたたえられる。

(菅原征子)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和気広虫」の意味・わかりやすい解説

和気広虫
わけのひろむし
(730―799)

奈良末から平安初期の女官。清麻呂(きよまろ)の姉。葛木連戸主(かずらきのむらじへぬし)の妻。762年(天平宝字6)孝謙(こうけん)上皇が落飾し淳仁(じゅんにん)天皇にかわって天下の政をとると広虫も出家して法均(ほうきん)と号した。恵美押勝(えみのおしかつ)の乱(764)後斬刑(ざんけい)にあたる375人の助命を乞(こ)い、流(る)・徒(ず)(懲役刑)に減刑した。乱後の飢疫により捨て児(ご)が増えたが、彼女は83人を収養して子とし、これに葛木首(おびと)姓を賜った。押勝の乱の功により従(じゅ)五位下、勲六等。八幡(はちまん)神教事件にあたり、宇佐(うさ)へ遣わされることになったが、女性の身で遠路に耐えがたしとの理由で弟清麻呂にかわった。結局法均も称徳(しょうとく)女帝(孝謙重祚)の怒りに触れ狭虫(さむし)と改名して備後(びんご)(広島県)に流されたが、のちに召還され典侍(てんじ)正四位上に至り、没後正三位(しょうさんみ)を贈られた。

[黛 弘道]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「和気広虫」の解説

和気広虫
わけのひろむし

730~799.1.20

奈良後期の高級女官。備前国藤野郡生れ。もと藤野別真人(わけのまひと)。葛木戸主(へぬし)の妻。和気清麻呂の姉。孝謙太上天皇に仕え,その出家に従い法均と称する。恵美押勝の乱後,斬刑者の助命嘆願,捨て子の養育にもつとめる。765年(天平神護元)従五位下・勲六等。宇佐八幡宮神託事件に連坐して別部狭虫(わけべのさむし)と改名され,備後国に配流された。光仁天皇即位により許されて復位し,785年(延暦4)従四位上に昇る。光仁・桓武両天皇の信任あつく,典蔵(くらのすけ)・典侍(ないしのすけ)を歴任。贈正三位。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和気広虫」の解説

和気広虫 わけの-ひろむし

730-799 奈良-平安時代前期の女官。
天平(てんぴょう)2年生まれ。和気清麻呂(きよまろ)の姉。葛木戸主(かずらきの-へぬし)の妻。備前(岡山県)藤野の人。孝謙上皇につかえ,上皇にしたがい出家して法均尼と称した。神護景雲(じんごけいうん)3年道鏡事件で還俗のうえ狭虫(さむし)と改名させられ,備後(びんご)(広島県)に流された。光仁(こうにん)天皇の即位で京都にもどる。正四位上。慈悲心あつく,藤原仲麻呂の乱後の孤児83人を養子としてそだてたという。延暦(えんりゃく)18年1月20日死去。70歳。

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旺文社日本史事典 三訂版 「和気広虫」の解説

和気広虫
わけのひろむし

730〜799
奈良末期・平安初期の女官
清麻呂の姉。孝謙上皇に仕え,762年上皇の出家に従い法均尼 (ほうきんに) と称した。769年道鏡事件に際し弟清麻呂に縁坐して備後国(広島県)に流されたが,道鏡失脚後許されて,正四位上,典侍 (てんじ) となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和気広虫」の意味・わかりやすい解説

和気広虫
わけのひろむし

法均」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の和気広虫の言及

【宇佐八幡宮神託事件】より

…当時大宰帥は道鏡の弟弓削浄人(ゆげのきよと)であるから,合意のうえの奏上であろう。天皇は夢に八幡神が,神教を聴かせるから尼法均(和気広虫)を派遣せよとあるが,法均は女で軟弱,遠路にたえがたいからと,その弟和気清麻呂を宇佐に派遣した。彼は神前で託宣を請うと,その神託は〈道鏡を天位につかしめば〉という前回と同様であった。…

【護王神社】より

…京都市上京区に鎮座。和気清麻呂と姉広虫を主神とし,藤原百川(ももかわ),路豊永を配祀する。清麻呂は藤原仲麻呂の乱平定,道鏡追放,平安遷都などで功をあげたが,そのゆかりの神護寺に,平安末期文覚(もんがく)がその霊社を建ててまつっていた。1851年(嘉永4)になり正一位護王大明神の神号が宣下され,さらに明治になり,74年護王神社と改称,別格官幣社となった。86年蛤御門近くの現在地に移し,同時に孤児の養育などに励んだ広虫,また同時期に活躍した百川,豊永を配祀,のち1915年広虫を主神とした。…

【女孺】より

…彼女たちの中には後に後宮十二司の上級官職につく者や,五位以上に昇るものもあった。孝謙上皇の側近として,また和気清麻呂の姉として有名な和気広虫も,女孺出身で従四位,典侍にまで昇進した宮人であった。【玉井 力】。…

※「和気広虫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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