国際連盟脱退(読み)こくさいれんめいだったい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「国際連盟脱退」の意味・わかりやすい解説

国際連盟脱退
こくさいれんめいだったい

1933年(昭和8)3月27日、リットン報告書採択に反対して、日本が正式に国際連盟脱退通告したことをいう。1931年の満州事変に際し、国際連盟リットン調査団を現地に派遣、その報告書は32年10月公表された。内容は日本に対し妥協的なものであったが、日本の軍事行動を正当と認めず、また満州国傀儡(かいらい)国家であることを事実上認めるものであった。そのため日本側の強い反発を招き、国内でも陸軍右翼を中心に連盟脱退論がおこり、財界の一部もこれに同調した。12月の連盟総会では日中両国の意見が激しく対立し、両国を除く十九人委員会に問題が付託された。同委員会の報告書は、リットン報告書の採択と満州国不承認を盛り込んだものであり、2月24日の連盟総会は44か国中42か国の賛成(日本反対、シャム棄権)でそれを採択したので、日本全権松岡洋右(ようすけ)はこれに抗議して退場した。連盟脱退により日本は孤立の道を歩むことになった。

荒井信一

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「国際連盟脱退」の意味・わかりやすい解説

国際連盟脱退
こくさいれんめいだったい

1933年の日本の国際連盟脱退のこと。国際連盟創立以来の原加盟,常任理事国として重きを占めてきた日本は,満州事変契機にその地位が一転し,事件中国によって連盟に提訴された結果,列国から,問責非難される立場に立たされた。国際連盟からはリットン調査団が派遣され,32年9月 22日その報告書が連盟事務局に付託された。同報告書は日本の主張を否認するもので日本はこれに反対したが,連盟総会は 33年2月 24日 42対1 (日本) ,棄権1 (タイ) で同報告書を採択した。これに対して,松岡洋右全権以下の日本代表団は総会から退場し,次いで同年3月 27日日本国政府は連盟事務局に脱退の通告を行うとともに,同日脱退の声明を発表した。以後日本の外交は国際社会から孤立し,ドイツイタリアとの枢軸結成へと直進していくことになった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「国際連盟脱退」の解説

国際連盟脱退
こくさいれんめいだったい

1933年日本の国際連盟脱退のこと
国際連盟総会は,リットン調査団の報告書をもとに審議を進め,満州における中国の主権の確認,日本軍の撤兵を内容とする対日勧告を含む報告案の票決を行い,42票対1票,棄権1票(タイ)をもって可決した。日本代表松岡洋右 (ようすけ) は報告書反対の声明を行って退場。こうして日本政府は陸軍の強硬論に押されて連盟を脱退し,国際社会に孤立化することとなり,やがてドイツ・イタリアと提携の道を歩んだ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「国際連盟脱退」の解説

国際連盟脱退
こくさいれんめいだったい

1933年(昭和8)日本が国際連盟を脱退した事件。満州事変における日本の中国に対する侵略行為に対し,国際連盟はリットン調査団を派遣して実情を調査。33年2月24日の連盟総会は,リットン調査団報告書の趣旨を盛り込んだ十九人委員会の報告案を,賛成42,反対1,棄権1で採択した。松岡洋右(ようすけ)ら日本代表団は総会から退場,3月27日正式に連盟脱退を通告した。

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