土崎(読み)ツチザキ

デジタル大辞泉 「土崎」の意味・読み・例文・類語

つちざき【土崎】

秋田市地名。旧雄物川おものがわ河口港で、近世土崎湊つちざきみなとと称し日本海の港として繁栄。現在は秋田港改称

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百科事典マイペディア 「土崎」の意味・わかりやすい解説

土崎【つちざき】

雄物(おもの)川河口に位置する出羽国秋田郡の港町。現在の秋田市西善(さいぜん)寺が所蔵する慶長15年(1610)の梵鐘銘に土崎湊(みなと)とあるのが,土崎湊の表記の早い例で,古くは湊,秋田湊とよばれた。蝦夷を討つため軍を率いてきた阿部臣が船を入れたという齶田(あいた)浦は,土崎周辺地域とされる。1239年,沙弥公蓮が源頼朝から与えられた秋田郡内の所領の中に湊がある。室町末期の《廻船式目》には北国海運の七湊の一つとして秋田湊があげられている。戦国末期には湊安東氏が湊城を築き城下整備を進めた。1602年出羽に移封となった佐竹氏は初め湊城に入ったが,1603年窪田(久保田)に新城を築き移った。このとき土崎から有力商人らを強制移住させている。近世には久保田城下の外港として,また雄物川舟運の拠点として栄えた。現在は秋田市に属し,秋田港とよばれる。
→関連項目秋田[市]蝦夷管領

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改訂新版 世界大百科事典 「土崎」の意味・わかりやすい解説

土崎 (つちざき)

出羽国秋田郡(秋田県)の港町で雄物川河口に位置する。古くは湊,秋田湊と呼ばれ,1239年(延応1)の将軍御教書に〈湊地頭職事〉とあるのが初見。室町時代には日本海北国海運の七湊の一つとして秋田湊としるされる。このほか土崎湊とも称された。南北朝時代に津軽安東氏の勢力が南下してこの地に及び,土崎を一拠点としたことからしだいに繁栄したと思われる。16世紀末,安東氏は秋田氏とも称し,秋田実季はこの地に湊城を築き城下町の整備を進めた。1602年(慶長7)出羽に移った佐竹氏が最初入ったのが湊城で,1ヵ年居住ののち久保田(秋田)に新たに城を築いて移ったが,そのとき土崎の有力商人たちも移住させた。近世には城下久保田の外港として,同時に雄物川流域の各地を結ぶ舟運の中心地として活況を呈した。領内からの移出品の中心は米で,移入品は衣料,綿,塩などが多かった。明治後半,奥羽線の開通によって大きな影響をうけ,入港船も減少し衰退した。1889年土崎港町となり,1941年秋田市に合体,港の名も秋田港となった。
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