精選版 日本国語大辞典 「大田垣蓮月」の意味・読み・例文・類語
おおたがき‐れんげつ【大田垣蓮月】
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江戸末期から明治初期の歌人。寛政(かんせい)3年1月8日京都に生まれる。名は誠(のぶ)、蓮月は法名。実父は伊賀(いが)上野(三重県)の城代家老藤堂新七郎良聖(とうどうしんしちろうよしきよ)、養父は知恩院の坊官大田垣伴左衛門光古(てるひさ)。7、8歳で丹波(たんば)亀山(かめやま)(亀岡)城主松平家に奉公。のち光古の養子望古(もちひさ)と結婚したが、のち離別。1819年(文政2)光古の養子古肥(ひさとし)と再婚。蓮月33歳のとき、古肥が病死したので剃髪(ていはつ)。東山真葛(まくず)が原、洛東(らくとう)の岡崎、聖護院(しょうごいん)村、方広寺大仏のそば、北白川の心性寺、西賀茂村などに転住し、西賀茂の神光院(じんこういん)で明治8年12月10日、85歳で没した。その間、自詠の歌を彫った陶器をつくり、蓮月焼として世に知られた。若年から歌道に親しみ、上田秋成(あきなり)、香川景樹(かげき)に教えを受け、六人部是香(むとべよしか)に入門。歌風は平明温雅で、家集に『海人の刈藻(あまのかるも)』がある。高畠式部(たかばたけしきぶ)と並んで幕末京都女流歌人の代表。富岡鉄斎も若年のときに彼女の庵居(あんきょ)に遊び、また橘曙覧(たちばなあけみ)、野村望東尼(もとに)などと交わりがあった。
[宗政五十緒]
はらはらと落つる木の葉にまじりきて栗(くり)の実ひとり土に声あり
『村上素道編『蓮月尼全集』全1巻(1927・同書頒布会/増補復刻・1980・思文閣出版)』
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