…当時《凸坊新画帖》という肩書で公開されたE.コールらの作品の現物を分析して,手探りでそのトリックを解明するところからスタートした。次いで幸内純一門下の大藤信郎の〈千代紙映画〉(《馬具田城の盗賊》1926)が生まれ,やがて洋画,日本画を学びマキノ・プロを経てきた政岡憲三が登場し,《森の妖精》(1935),《べんけいとウシワカ》(1939)などの意欲作を発表するとともに,家内工業スタイルだったこの世界に,近代的な製作スタイルを導入して合理化を進めた。瀬尾光世をチーフ・アニメーターとする政岡映画の製作スタッフが,今日の日本のアニメ製作者の源流を形成したといえる。…
※「大藤信郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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