宇野宗佑(読み)ウノソウスケ

デジタル大辞泉 「宇野宗佑」の意味・読み・例文・類語

うの‐そうすけ【宇野宗佑】

[1922~1998]政治家滋賀の生まれ。陸軍少尉として終戦を迎え2年間のシベリア抑留を体験。昭和35年(1960)衆議院議員当選竹下内閣の外相だった平成元年(1989)にリクルート事件内閣総辞職。他の有力閣僚らが軒並み事件に関わっていたため、党内基盤が弱いながら首相就任した。直後の参院選大敗や女性スキャンダルに見舞われ、在任69日で退陣。→海部俊樹

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百科事典マイペディア 「宇野宗佑」の意味・わかりやすい解説

宇野宗佑【うのそうすけ】

政治家。滋賀県出身。神戸商大中退。滋賀県議を経て,1960年自由民主党から衆議院議員に当選。1974年防衛庁長官として初入閣,以後通産相,外相などを歴任する。1989年リクルート事件で辞任した竹下登総裁に代わり総裁となり,同年6月首相となるが女性スキャンダルが発覚して参議院選挙で惨敗し,わずか2ヵ月ほどで8月に辞任した。→宇野宗佑内閣
→関連項目海部俊樹海部俊樹内閣竹下登内閣

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宇野宗佑」の意味・わかりやすい解説

宇野宗佑
うのそうすけ
(1922―1998)

政治家。滋賀県生まれ。神戸商業大学(現神戸大学)中退。1960年(昭和35)の総選挙で自民党から初当選。以後連続12回当選。河野派、のちに中曽根(なかそね)派に所属。第二次田中角栄内閣の防衛庁長官が初入閣。以来科学技術庁長官、行政管理庁長官、通産相を歴任。1989年(平成1)6月竹下登(のぼる)退陣の後、首相となり政治改革を主張するが、自らの女性スキャンダルや参議院選挙敗北により、わずか2か月余りで退陣、以後自民党最高顧問を務め、1996年政界を引退

伊藤 悟]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇野宗佑」の意味・わかりやすい解説

宇野宗佑
うのそうすけ

[生]1922.8.27. 滋賀,守山
[没]1998.5.19. 滋賀,守山
政治家。 1943年学徒出陣で神戸商業大学を中退。 51年滋賀県会議員,河野一郎秘書を経て,60年衆議院議員。自由民主党の政策マンとして地位を築き,以後 10回の当選を果し,その間,防衛庁長官,科学技術庁長官,通産大臣外務大臣などを歴任。竹下登内閣退陣後,89年6月首相に就任。「リクルート事件」と自身のスキャンダルによって参議院選挙での与野党大逆転を招き,同年8月首相を引責辞任。就任期間 69日間の短命内閣に終った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇野宗佑」の解説

宇野宗佑 うの-そうすけ

1922-1998 昭和後期-平成時代の政治家。
大正11年8月27日生まれ。河野一郎の秘書をへて,昭和35年衆議院議員(当選12回,自民党)。第2次田中内閣の防衛庁長官をはじめ,通産相,外相などを歴任。平成元年首相となるが,リクルート事件などの逆風やみずからの女性スキャンダルにより参議院選挙に敗れ,在任69日間で辞任した。平成10年5月19日死去。75歳。滋賀県出身。神戸商業大(現神戸大)中退。

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