精選版 日本国語大辞典 「実践」の意味・読み・例文・類語
じっ‐せん【実践】
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一般に,抽象的思弁としての〈理論〉に対して,人間の自然や社会に対する〈働きかけ(活動)〉をいう。西欧語では,practice(英語),Praxis(ドイツ語),pratique(フランス語)など。その場合,自然に対する働きかけを,とくに〈労働〉と呼び,社会に対する働きかけを,倫理的・政治的活動として,とくに〈行為〉(英語conduct,ドイツ語Handlung,フランス語conduite)と呼ぶことがある。これに対して,〈行動〉(英語behavior,ドイツ語Verhalten,フランス語comportement)は,主として外部から観察しうる人間や動物の,なんらかの物あるいはできごとに対する反応活動をいう場合が多い。もちろんこれらの語は,日常的には厳密に区別されない。また,理論と実践の区別も絶対的ではなく,理論も対象に働きかける人間活動である点からすれば,両者は相互に影響しあう人間活動の二つの相であり,このような上位概念としての人間活動を実践,あるいはとくに〈プラクシス〉と呼ぶこともある。
実践を意味する西欧語は,〈活動〉を意味するギリシア語のプラクシスpraxisに由来する。古代ギリシア哲学では,プラトンやアリストテレスをはじめ,プラクシス(実践)を〈テオリア(認識,観想)〉に対立させて理解した。その場合,永遠の真実在(真理)としてのイデアや神をロゴス(理性)によって認識するテオリアが価値的に優先され,実践は仮象的で可変的な感覚世界に属する人間が真実在を認識するための手段と考えられた。そこでまた,実践はとくに精神的な倫理的・政治的行為と考えられる一方,より物質的な生産行為は〈ポイエシス(制作)〉としてさらに区別されることにもなる(アリストテレス)。ポイエシスは,芸術をも含めてものを制作するやり方(知識)としての〈テクネ(技術)〉と密接に結びついたものと考えられたが,この点で,制作的・技術的実践には実用的・有用的という意が含意される。こうして,理論を実用性を排除したものとし,それとの関係で実践を道徳的・政治的実践と技術的・生産的実践に価値的に区別する考え方が,その後の西欧思想に一つの枠組みを残した。
中世のキリスト教においても,必要を満たすための現世の労働生活と神を求める観想生活の区分が維持されたが,中世も末期になると,生産活動を含む現世生活が価値的にも重視されるようになり,やがて近世になって16世紀の宗教改革のころともなると,勤勉で敬虔な労働生活を基礎にする神の信仰が説かれ,労働生活と道徳的行為を結びつけてとらえる考え方が強まった。それとともに,自然を対象とする制作的・生産的実践と自然についての理論的認識(科学)の結びつきも明確に自覚されるようになり,実験と観察を基礎とする労働的な科学の実践が科学的認識(理論)と不可分なものと考えられる。F.ベーコンは実験的に自然を知ることで自然を利用して人間の現実生活を豊かにする実践的科学を構想し,デカルトは精神と物質を峻別する二元論をたてて,科学の実践と理論を観想的・形而上学的思弁から解放する道を用意した。こうして近代の自然科学は,理論と実践を相関的なものととらえ,思弁的観想としての理論という観念を変革することになる。
18世紀になると,このような自然科学の方法を社会にも適用し,人間の倫理的・政治的行為を科学的にとらえる努力(人間科学)もはじまる。これに対してカントは,科学的な自然認識の成立根拠に超越的な人間理性をおき,それとの関係で感性とつながった悟性的認識と純粋な理性的認識を区別して,理論を2種に区分けするとともに,実践をも,感性的・経験的動機に規定されたプラグマティッシュ(実際的,有用的)な実践と,理性の法則に従うモラーリッシュ(道徳的,精神的)な実践とに区別して,後者すなわち倫理的実践(行為)をすぐれた意味での実践と考えた。そしてこの実践を規定する理性を〈実践理性〉と呼び,認識における〈理論理性〉が人間の自由や霊魂の不滅,神の存在を理論的には証明しえないのに対して,実践的にはそれらの存在が必然的に要請されるから,実践理性は理論理性に優位するとした。こうして,倫理的実践によって人間の自由が〈人間性〉の完成として実現する〈理性の王国〉が,人間の実践の目的とされたが,それは歴史的実践(進歩)によって遠い未来に到達されるはずのものであった。そこでヘーゲルは,カントの理論理性と実践理性の二分法を排して,理性が理論的であると同時に実践的であり(弁証法),理性の自己運動と実践的自己実現の過程(歴史)が現実世界だと考えた。そこから,労働から倫理的・政治的行為にいたる実践を社会(共同体,市民社会,国家)として世界史の発展過程のうちにとらえる見方が生まれた。マルクスは,さらに徹底して,人間の現実的・物質的生活の生産活動(労働実践)をいっさいの認識と行為の根拠とし,そこから社会を科学的にとらえようとした。そして,社会の歴史的発展法則に基づく革命的実践の意義を強調するとともに,実践によって理論が生まれ,理論によって実践が修正補強される〈理論と実践の統一〉を明確にした。
一方,19世紀後半のアメリカでは,C.S.パースが,カントの実践の二分法に触発されて,形而上学を排して真に科学的に思考する哲学的立場を探求して,それをプラグマティズムと呼んだ。〈プラグマティックpragmatic〉という語は,ギリシア語の〈プラグマpragma〉(活動,実際になすべきこと),その形容詞〈プラグマティコスpragmatikos〉に由来するが,パースは,概念の意味を,思弁ではなくそれが行動に現れる実際的結果によってとらえ,理論をつねに実践(実験)によって検証すべきことを主張した。プラグマティズムは,さらにW.ジェームズやデューイによって展開されたが,それは理論に対する実践の優位を認めるものであった。こうして,20世紀に入って人間諸科学,社会諸科学がいっそう発展するとともに旧来の理論と実践の二分的対位は崩れ,現代では思考・言説活動から身体・労働活動までを広義の実践概念においてとらえて解明する動向が一般的となっている。
→行動 →労働
執筆者:荒川 幾男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかし倫理については種々の謬見や邪説もありうるのだから,それらと正しい説とを見分けるに足る批判力を身に付けるという意味では,倫理学についての素養もある程度の有効性をもちうると,カントなどは考えている。さらに,これはアリストテレスなどがすでに明確にとっている立場なのであるが,倫理の問題となると,それについて知識を有することも重要ではあるが,結局はそれが実践として正しく現実化されることが肝要である。当の知識が単なる空理空論であって,実践的にはまったく無効であるとすれば,それは倫理的には無意義なことであり,むしろ逆に,倫理学などまったく知らなくても,当人が一個の信頼すべき人間として行動し生活できるというほうがよほど有意義であるという事情が,倫理の問題にはある。…
※「実践」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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