小田内通敏(読み)おだうち みちとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小田内通敏」の解説

小田内通敏 おだうち-みちとし

1875-1954 大正-昭和時代の地理学者
明治8年6月6日生まれ。早大などでおしえるかたわら,大正15年「人文地理」を発刊。昭和5年文部省嘱託となり,尾高豊作(ほうさく)らと郷土教育連盟創立。郷土地理研究と郷土教育運動につくした。戦後国立(くにたち)音大教授。昭和29年12月4日死去。79歳。秋田県出身。高等師範卒。旧姓田所。著作に「郷土地理研究」「日本郷土学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小田内通敏の言及

【郷土教育】より

…このような郷土教育は,郷土すなわち身近な生活の場に教材を発見し,それを授業に利用するという教育方法に重点がおかれたものであった。ところが1920年代から30年代のドイツにおける郷土科Heimatkunde設置の影響をうけて,日本においても,北沢種一らの労作・体験・直観などの原理から郷土を重視する主張と,地理学者小田内通敏や志垣寛らによる〈土地と勤労と民族の三つの複合体〉としての郷土の科学的把握と調査に基づいた学習を主張する郷土教育連盟の運動があった。この背景には,世界恐慌などの影響による農村窮乏化の救済という問題意識がある。…

【集落地理学】より

…またグラートマンR.Gradmannは20世紀初頭から南ドイツをフィールドとして植物群落と居住との諸関係について歴史地理学的考察を進め,1910年代以降の集落研究に大きい影響を与えた。日本でもこの時期に小川琢治や小田内通敏などによって集落研究が本格化し,30年代には米倉二郎によってマイツェンの方法論が古代条里村落の復原に導入された。しかし20世紀後半には研究の重心が従来の形態学的・発生学的分析から,機能とその社会経済的要因分析に移った。…

※「小田内通敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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