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小磯国昭【こいそくにあき】
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世界大百科事典 第2版の解説-
こいそくにあき【小磯国昭】
1880‐1950(明治13‐昭和25)
陸軍軍人,政治家。宇都宮生れ。1900年陸軍士官学校(12期)卒業,日露戦争に従軍ののち,10年陸軍大学校を卒業。16年参謀本部員として第2次満蒙独立運動を推進し,歩兵第51連隊長,陸大教官,陸軍省整備局長をへて30年軍務局長となり,三月事件や十月事件に関与した。陸軍次官,関東軍参謀長,第5師団長,朝鮮軍司令官を歴任,37年大将に昇進,38年予備役となった。39年平沼騏一郎,40年米内光政両内閣の拓相,42年朝鮮総督,44年東条英機内閣が倒れると首相となり,彼の提唱により最高戦争指導会議が設置されたが,有効な戦局打開策を講じえず翌年4月総辞職した。・・・
▼小磯国昭について記述のある項目
三月事件【さんがつじけん】 最高戦争指導会議【さいこうせんそうしどうかいぎ】
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説-
小磯国昭 こいそ-くにあき
 
1880-1950 明治-昭和時代前期の軍人,政治家。
明治13年4月1日生まれ。参謀本部員などをへて昭和5年陸軍省軍務局長となり,軍部の満州進出を推進。平沼・米内(よない)両内閣の拓務相,19年首相となるが,沖縄戦の最中に総辞職。陸軍大将。戦後,戦犯として終身刑となり,服役中の昭和25年11月3日病死。70歳。栃木県出身。陸軍大学校卒。
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。
デジタル大辞泉の解説-
こいそ‐くにあき 【小磯国昭】
[1880~1950]軍人・政治家。陸軍大将。栃木の生まれ。拓務相・朝鮮総督を経て昭和19年(1944)首相。第二次大戦後、極東国際軍事裁判で、A級戦犯として終身禁錮刑になり、服役中に病死。
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百科事典マイペディアの解説-
陸軍大将,政治家。栃木県の生れ。陸大卒。陸軍省軍務局長として三月事件に関係。のち関東軍参謀長,朝鮮軍司令官,平沼騏一郎・米内光政内閣の拓相を経て,朝鮮総督となる。
(1880-1950)
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美術人名辞典の解説- 政治家・陸軍大将。栃木県生。陸士・陸大卒。平沼・米内内閣の拓務大臣を歴任、朝鮮総督ののち首相となる。昭和25年(1950)歿、63才。
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大辞林 第三版の解説-
こいそくにあき【小磯国昭】
(1880~1950) 陸軍軍人・政治家。宇都宮生まれ。朝鮮総督などを歴任。東条内閣のあとをうけて組閣,戦後 A 級戦犯として終身刑。
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