小野(読み)おの

精選版 日本国語大辞典 「小野」の意味・読み・例文・類語

お‐の を‥【小野】

[1] 〘名〙 (「お」は接頭語) 野。野原。おぬ。
※古事記(712)中・歌謡「さねさし 相摸の袁怒(ヲノ)に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
[2]
[一] 京都市山科区南端の地名。中世には小野郷。真言宗善通寺派(もと小野派本山)随心院(小野門跡)、醍醐天皇妃藤原胤子の小野陵がある。
※拾遺(1005‐07頃か)雑秋・一一四四「み山木を朝な夕なにこりつめて寒さをこふるをのの炭焼〈曾禰好忠〉」
[二] 京都市左京区八瀬、大原一帯の古名。小野朝臣当岑が居住し、惟喬(これたか)親王が閉居した所。
※伊勢物語(10C前)八三「睦月にをがみ奉らむとて、小野にまうでたるに、比叡の山の麓なれば、雪いと高し」
[三] 滋賀県彦根市の地名。中世の鎌倉街道の宿駅で、上代には鳥籠(とこ)駅があった。小野小町の出生地と伝えられる。
※義経記(室町中か)二「をのの摺針(すりばり)打ち過ぎて、番場、醒井(さめがい)過ぎければ」
[四] 兵庫県中南部、加古川中流域の地名。小野氏一万石の旧城下町。特産品に鎌、はさみ、そろばんなどがある。昭和二九年(一九五四)市制。

お‐ぬ を‥【小野】

〘名〙 (現在、「の」の甲類の万葉仮名とされている「怒・努・弩」などを「ぬ」と読んだところからできた語。「お」は接頭語) =おの(小野)(一)

おの をの【小野】

姓氏の一つ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「小野」の意味・読み・例文・類語

おの【小野】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「小野」姓の人物
小野梓おのあずさ
小野鵞堂おのがどう
小野湖山おのこざん
小野忠明おのただあき
小野竹喬おのちくきょう
小野十三郎おのとおざぶろう
小野妹子おののいもこ
小野おののつう
小野老おののおゆ
小野皇太后おののこうたいこう
小野小町おののこまち
小野篁おののたかむら
小野道風おののとうふう
小野道風おののみちかぜ
小野好古おののよしふる
小野正嗣おのまさつぐ
小野三千麿おのみちまろ
オノ・ヨーコ
小野蘭山おのらんざん

おの【小野】[地名]

京都市左京区高野から八瀬やせ大原にかけた一帯の古称。小野当岑の所領地で、惟喬これたか親王が幽居した所。
京都市山科やましな区の地名。真言宗の随心院がある。小野小町の出身地と伝える。
兵庫県中南部の市。加古川中流にある。もと一柳氏の城下町。はさみ・かまなどの刃物、そろばんの産地。人口5.0万(2010)。

お‐の〔を‐〕【小野】

《「お」は接頭語》野。野原。
「さねさし相摸さがむの―に」〈・中・歌謡〉

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「小野」の解説

小野
おの

北小野きたおの中小野なかおの南小野みなみおのの地域にまたがる一四世紀頃に存在した荘園で、のち小野または小野村とよばれた。正和五年(一三一六)三月日の性妙申状案(舛田文書)に「小野庄」とみえる。同年一〇月二五日には「おのゝ庄いまよし名田地やしき三ケ所・同所のむまのせ」の井料田一丁のうち八反などが、詫磨道覚より嫡子竹熊丸に譲られている(「同譲状案」詫摩文書)。しかし立荘の時期や経緯、荘園領主などは不明。正平二年(一三四七)八月二五日、大友孫次郎が「小野庄」に攻寄せ城郭を構えたため、南朝方の恵良惟澄らがはせ向かい、終日合戦の末、これを撃退し城を破却したのが(同年九月二〇日「恵良惟澄軍忠状写」阿蘇家文書)、荘名のみえる最後で、おそらく内乱の過程で、荘園としては形態的にも退転したのであろう。

小野
おの

小野は歌枕としても知られる。

<資料は省略されています>

歌学書は「をのの里」「をのの山」をあげるが、山城国には愛宕おたぎ郡と宇治郡の双方に小野郷があり(和名抄)、証歌は必ずしも当地宇治郡小野には該当しない。ことに小野山は「スミヤク」(和歌初学抄)・「すみがま」(八雲御抄)などと注しており、これは明らかに愛宕郡の小野(現京都市左京区)である。

小野
おの

「和名抄」にみえる滋賀郡真野まの郷内の地。和邇わに川下流右岸の琵琶湖岸に比定される。「新撰姓氏録」左京皇別下に小野朝臣の名がみえ、遣隋使小野妹子が「近江国滋賀郡小野村」に居住したため小野臣を称したとある。この所伝をもって妹子の時代に大和東北部に本拠をもつ和邇氏の一族が当地に移住し、小野臣となったとする説がある。しかし「延喜式」神名帳に載る滋賀郡八座には日吉大社と並んで小野神社が名神大社としてみえ、「続日本後紀」承和元年(八三四)二月二〇日条によれば、「小野氏神社」の春秋の祭に、小野氏の五位以上の者は官符を待たずに往還を許されていることから、当地を本貫地とする在地豪族とみられる。

小野
おの

北谷きただにの古名とされる鎌倉期にみえる地名。西行に仮託された説話集である鎌倉時代成立の「撰集抄」巻二に、「みかさ郡小野の里」の山中にどこの者とも知れない僧が一年ほど隠栖していたが、あるとき人がその庵を尋ねると、歌とともに「久寿二年三月九日青蓮院法眼真誉」と板に書付けて、本人は姿を消していたという話がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「小野」の意味・わかりやすい解説

小野 (おの)

地名。〈小野〉という地名は全国に散在している。それは元来普通名詞〈野〉に接頭語〈小〉がついたもので,野と同義であったが,やがて固有名詞に転じて定着したものと考えられる。そのほか,古代の小野氏の占有地をも〈小野〉と称した。《万葉集》にあらわれる〈小野〉をすべて普通名詞とする説もあるが,これは疑問と言うべきで,判別しがたいものがある。固有名詞として文学上顕著な小野に,山城国の2ヵ所がある。

(1)《和名抄》に記す山城国愛宕(おたぎ)郡の小野郷は現在の京都市左京区上高野,修学院,一乗寺とその付近の地域である。上高野崇道神社境内の古墓から小野毛人(えみし)(遣唐使の妹子の子)の墓誌が出現したことなどから,この付近が古代の小野氏の本拠であったと考えられる。修学院にある赤山(せきざん)禅院は,慈覚大師円仁が泰山府君を勧請した社で,延暦寺別院である。もと南淵年名の小野山荘のあとで,一乗寺から比叡山の登山道〈雲母坂(きららざか)〉があり,この付近を西坂本と称し,軍記物語などにしばしばあらわれる。また,《源氏物語》では,柏木に死別した落葉宮が幽棲した所として〈夕霧〉巻に華麗に描かれ,山荘を訪れた夕霧大将の歌に〈里遠み小野の篠原分けてきて我もしかこそ声も惜しまね〉がある。同書〈手習〉巻では横河(よかわ)僧都の住居をここにあったとし,入水した浮舟が介抱されたとしている。《伊勢物語》ではこの小野を惟喬(これたか)親王の隠棲の地とするが詳細は不明である。

(2)《和名抄》に記す宇治郡の小野郷は現在の京都市山科区小野である。平安時代,僧仁海が小野曼荼羅寺をおこし,真言密教の小野流の本拠となった。後の随心院である。随心院は小野小町宅跡の伝承があり謡曲《通小町(かよいこまち)》《卒都婆小町》には,深草少将が墨染から百夜(ももよ)通った,という説話がある。境内には小野小町文塚と称するもの,その他がある。
執筆者:

小野[市] (おの)

兵庫県の南部,加古川の中流に位置する市。1954年小野町ほか河合,来住(きし),市場,大部,下東条の5村が合体,市制。人口4万9680(2010)。江戸時代には一柳氏1万石の陣屋の所在地であった。1952年に神戸電鉄粟生線が開通するまでは交通の便に恵まれず,農村的色彩の強い伝統的特産工業の町として存続した。代表的製品は16世紀末に大津から技術を習得して始められた播州そろばんと,江戸時代に始まったはさみ,鎌など家庭刃物で生産額はいずれも全国一。ほかに播州織や釣針の生産も行われる。近年はそろばんの需要は減ったが,1955年ころから木珠(もくじゆ)のれんへ転換し,70年ころからは小物家具の分野へも進出している。隣接の三木市や加古川上流の西脇市とともに伝統的工芸品を中心とする典型的地場産業都市となっているが,現在でも家内工業的経営が主流である。市内の来住の鴨池はシベリアからのカモの飛来地として著名。浄谷(きよたに)に浄土寺がある。JR加古川線が通じる。
執筆者:

小野[町] (おの)

福島県東部,田村郡の町。人口1万1202(2010)。夏井川上流域を占め,阿武隈高地の山々に囲まれる。中心の小野新町は浜通りと中通りを結ぶ交通の要地で,戦国期には新町城が置かれ,近世は磐城街道の宿場として栄えた。現在も旧田村郡南東部の中心地で,JR磐越東線が通じ,磐越自動車道小野インターチェンジがある。産業は近世に始められた葉タバコ栽培をはじめ,米作,酪農など農業が中心であり,たばこ祭の行われる小野たばこ神社がある。田村郡はかつては三春駒で知られる馬産地で東堂山満福寺の聖観音は馬産家の信仰を集めている。飯豊地区では黒御影石を特産する。小町,湯沢などの鉱泉があり,諏訪神社の翁杉(じじすぎ),媼杉(ばばすぎ)は天然記念物に指定されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小野」の意味・わかりやすい解説

小野
おの

京都市東部、山科(やましな)区最南部の地区。南は伏見(ふしみ)区の醍醐(だいご)に接する。『和名抄(わみょうしょう)』に「小野郷」と記され、歌枕(うたまくら)の「をのの里」にあたるといわれる。山科川に沿って大津街道が通ずる。国の史跡としては、平安中期に仁海(にんかい)僧正が創建したと伝える曼荼羅寺(まんだらじ)の塔頭(たっちゅう)であった随心院(ずいしんいん)(真言宗善通寺派の門跡(もんぜき)寺)がある。本堂は桃山時代末期の再建。境内に小町(こまち)化粧井戸など小野小町宅跡という伝承があるが、小野の地名からのちに付会されたのであろう。随心院の西には900年(昌泰3)醍醐(だいご)天皇建立の勧修寺(かじゅうじ)がある。国の重要文化財の書院は江戸初期の建造で、回遊式の名園を有する。寺の北西を名神高速道路が走る。また、市営地下鉄東西線小野駅がある。

[織田武雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android