得能良介(読み)とくのう・りょうすけ

朝日日本歴史人物事典 「得能良介」の解説

得能良介

没年:明治16.12.27(1883)
生年:文政8.11.9(1825.12.18)
明治時代の大蔵官僚。初代印刷局長。薩摩(鹿児島)藩士得能直介,吉の長男として生まれ,出仕後,島津斉彬,久光の側近として国事に奔走。維新後,明治3(1870)年に大久保利通推挙で民部大丞兼大蔵大丞に任ぜられる。大蔵省が民部省を合併してのち,大蔵権大丞となる。5年同省3等出仕の渋沢栄一衝突,暴行を加えたため免官されたが,同年司法省に採用される。7年大蔵省に復帰,紙幣頭となる。10年印刷局長に就任。国立銀行条令の改正や,紙幣製造,抄紙工場の建設による国産紙幣の製造などに尽力した。<参考文献>渡辺盛衛編『得能良介君伝』

(藤井信幸)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「得能良介」の解説

得能良介 とくのう-りょうすけ

1825-1883 明治時代の官僚。
文政8年11月9日生まれ。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。維新後新政府にはいり,民部大丞兼大蔵大丞,大蔵省紙幣局長をへて明治11年初代印刷局長となる。ヨーロッパの印刷技術を導入し,国産紙幣の製造に力をそそいだ。明治16年12月27日死去。59歳。名は通生。号は薫山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の得能良介の言及

【紙・パルプ工業】より

…また1873年には渋沢栄一らが〈抄紙会社〉(のちの王子製紙)を設立し,苦心の末75年7月に操業を開始している。このような民間洋紙製造会社の創立・開業に対して,官営製紙事業は74年に得能良介が大蔵省紙幣寮寮頭に任ぜられたときに立案され,75年に抄紙局によって東京王子に官営製紙工場の建設が始まり,翌76年に完工した。これが翌77年印刷局抄紙部となり,79年には最初の国産抄紙機を据え付け,印刷用紙を生産し市販した(それまでは手すきであった)。…

※「得能良介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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