志賀直道(読み)しがなおみち

世界大百科事典(旧版)内の志賀直道の言及

【志賀直哉】より

…大正・昭和期の小説家。宮城県石巻に生まれ,東京山手で育つ。父直温(なおはる)は慶応義塾出身の実業家。直哉に強い影響を与えた祖父直道は旧相馬藩の家臣。長男夭折のため次男直哉は祖母留女(るめ)の手で育てられた。学習院時代より内村鑑三の教会に通い,渡良瀬川の鉱毒事件被害地視察のことより父と対立。また落第したため武者小路実篤らと同級となる。1906年学習院から東大に進んだが中退。武者小路や木下利玄らと回覧雑誌を発行,これが下級の里見弴や柳宗悦らに影響を与え,10年4月《白樺》の創刊となる。…

【相馬事件】より

…誠胤は14歳で家督を相続したが,24歳のころから精神変調の兆候を示し,居室に監禁される。これを家令志賀直道(作家志賀直哉の祖父)らの主家のっとりの陰謀と考えた〈忠臣〉錦織剛清(にしごりたけきよ)が83年に志賀らを私擅監禁の罪で告発,これをきっかけにお家騒動が始まった。誠胤は時の東京帝大教授三宅秀らの鑑定により精神病と断定され,東京府癲狂院(松沢病院の前身)に収容されるが,これを不満とする錦織と相馬家のあいだではその後も訴訟の応酬がつづき,誠胤が糖尿病で死亡してからも,毒殺の疑いのため遺体の発掘調査が行われたりした。…

※「志賀直道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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