文殊菩薩(読み)モンジュボサツ

デジタル大辞泉 「文殊菩薩」の意味・読み・例文・類語

もんじゅ‐ぼさつ【文殊菩薩】

《「文殊」は、梵Mañjuśrīの音写文殊師利」の略。妙吉祥妙徳と訳す》智慧を象徴する菩薩普賢ふげん菩薩とともに釈迦如来脇侍僧形・童子形で、宝冠を頂く姿などに表され、独尊としては、獅子ししに乗り、剣を持ち、眷属けんぞくを従える。般若経典との関係が深い。

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精選版 日本国語大辞典 「文殊菩薩」の意味・読み・例文・類語

もんじゅ‐ぼさつ【文殊菩薩】

(「文殊」はMañjuśrī の音訳「文殊師利」の略。妙徳・妙吉祥と訳す) 仏語。諸仏の智慧をつかさどる菩薩。釈迦如来の脇侍として左に侍し、普賢菩薩とともに三尊を形成する。普通、右手に知剣、左手青蓮華(しょうれんげ)を持つが、経軌によっては種々の持物あるいは像形が説かれる。時に獅子に乗る形をとる。文殊師利菩薩。文殊。法王子。
※名語記(1275)六「けだもののしし、如何。師子とかけり。故は、獣の王として、文殊菩薩の乗物となれる、最深の義あるべし」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「文殊菩薩」の意味・わかりやすい解説

文殊菩薩
もんじゅぼさつ

詳しくは文殊師利法王子(青年たるマンジュシュリー)菩薩。初期の大乗仏教経典において堅固な精神統一(首楞厳三昧(しゅりょうごんざんまい))の体現者、仏に説法を請願し対話の相手役を務める菩薩の代表者などとして現れる。とくに般若(はんにゃ)経典との関係は深く、仏滅後に実在した菩薩、または無限の過去にすでに悟りを得た仏の現れ、菩薩の父母とされ、初期般若経典の形成に直接関与した実在の人物を背景として理想化された菩薩であると推定されている。多数の大乗経典の成立に伴って、悟りの実践的側面を象徴する普賢(ふげん)菩薩と並んで、その知性的側面を象徴し、智慧(ちえ)の菩薩とみなされるようになる。図像上は釈迦仏(しゃかぶつ)の左脇侍(わきじ)として獅子(しし)に乗った姿で表現され、また密教胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)では中台八葉院、金剛界(こんごうかい)曼荼羅の賢劫(けんごう)十六尊のなかにそれぞれ位置づけられる。中国では五台山が文殊の浄土とみなされ、それへの信仰が盛んになった。

[江島惠教]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文殊菩薩」の意味・わかりやすい解説

文殊菩薩
もんじゅぼさつ

文殊はサンスクリット語 Mañjuśrīの音写。大乗仏教における菩薩の一つ。釈尊の入滅後に生れた人物と伝えられ,『華厳経』によると南インドで布教活動に従事し,般若波羅蜜を説き,『般若経』を編集したという。普通には普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍として左脇に侍し,また獅子に乗る形にも造られる。眷属として八大童子を従える場合もある。智慧を司る菩薩としても広く信仰されている。胎蔵界曼荼羅の中台八葉院では五髻を戴き,左手に五鈷杵の立った蓮華,右手に梵篋を持った姿に表わされている。『華厳経』に東方清涼山に住むとあるところから,中国では五台山の清涼寺,日本では奈良の葛城山を霊地にあてる。遺品としては奈良白豪寺の木造坐像 (11世紀) ,同般若寺の木像 (鎌倉時代) ,京都醍醐寺の絹本着色『文殊渡海図』 (同) などが著名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「文殊菩薩」の解説

文殊菩薩 もんじゅぼさつ

仏の知恵を象徴する菩薩。
インドに実在した人ともいわれる。普賢(ふげん)菩薩とともに諸菩薩の上位に位置し,釈迦如来(しゃかにょらい)の左脇侍(きょうじ)。一般に右手に剣,左手に経巻をもち,獅子(しし)にのる姿であらわされる。日本には平安時代前期につたえられた。中国の五台山,日本では葛城山(かつらぎさん)が聖地とされる。奈良の興福寺,法隆寺,安倍文殊院などの像が有名。

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世界大百科事典(旧版)内の文殊菩薩の言及

【五台山】より

…中国山西省にある山脈の主峰五山を指す。《華厳経》の受持にともない,5世紀ころから文殊菩薩の住む清涼山にあたると信ぜられ,普賢菩薩の峨嵋山,観音の補陀落山とともに中国三大仏教聖地の一つとなった。浄土教の曇鸞(どんらん)がここに遊び聖跡に感じて出家した話は有名であるが,大塔院寺等いわゆる台中百ヶ寺の基礎が置かれたのも,このころである。…

【巡礼】より

…なかでも有名なのが山西省北東部にある五台山の巡礼であった。この山は,5世紀の北魏のころから《華厳経》にみえる文殊菩薩の住地たる清涼山にあたると信ぜられ,唐代になると,仏教界第一の霊地として中国ばかりでなく東アジアの全仏教界にその名を知られた。日本の僧侶も,唐代には玄昉(げんぼう)や円仁,宋代には奝然(ちようねん)や成尋などが,いずれも五台山巡礼を行っている。…

【維摩経】より

…中インド,バイシャーリーの長者ビマラキールティ(維摩詰,維摩)の病気を菩薩や仏弟子たちが見舞うが,みな維摩にやりこめられる。文殊菩薩のみが維摩と対等に問答をし,最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示す。全編戯曲的な構成のなかに旧来の仏教の固定性を批判し,在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。…

※「文殊菩薩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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