出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
評論家、小説家。慶応(けいおう)3年12月31日、伊勢(いせ)神戸(かんべ)(三重県鈴鹿(すずか)市)の生まれ。本名賢(まさる)。別号江東みどり、正直正太夫(しょうだゆう)、登仙坊など。明治法律学校(明治大学の前身)中退。俳諧(はいかい)を其角堂(きかくどう)永機、小説を仮名垣魯文(かながきろぶん)に学ぶ。『今日(こんにち)新聞』を振り出しに、『東西新聞』『国会』『二六新報』『萬朝報(よろずちょうほう)』など多くの新聞ジャーナリズムを渡り歩く。1889年(明治22)『小説八宗』により文壇に登場、以後戯文批評に才筆を振るい、『初学小説心得』『小説評註(ひょうちゅう)問答』『新体詩見本』などで文壇人を揶揄嘲笑(やゆちょうしょう)し、さらに96年、森鴎外(おうがい)、幸田露伴と匿名合評『三人冗語(じょうご)』を雑誌『めさまし草』に掲載、「評壇最高の権威」(松本清張)として重きをなした。一方、うぶな男の色道修行の悲劇を描いた『油地獄』(1891)や、花柳界における恋のさや当てのなかを巧みに遊泳する青年を描いた『かくれんぼ』(1891)により小説家としての地位を確立、ほかに『門三味線』(1895)などがあるが、小説家としての才より辛辣(しんらつ)かつシニカルな風刺家として知られた。軽妙な文章とパロディー精神は明治文壇にあって異彩を放ち、「按(あん)ずるに筆は一本也(なり)、箸(はし)は二本也。衆寡敵せずと知るべし」は一代の名句。著書にはほかに『あま蛙(がえる)』(1897)、『あられ酒』(1898)、『わすれ貝』(1900)、『みだれ箱』(1903)などがある。明治37年4月13日没。
[石崎 等]
『『明治文学全集28 斎藤緑雨集』(1966・筑摩書房)』▽『橋爪政成著『斎藤緑雨』(1964・九州文学社)』
明治期の批評家,作家。伊勢国神戸(かんべ)(現,三重県鈴鹿市)生れ。本名賢(まさる)。別号正直正太夫(しようじきしようだゆう)。明治法律学校中退。最初は仮名垣魯文(かながきろぶん)門下の戯作者として出発したが,1889年,坪内逍遥,二葉亭四迷らの文章のパロディ《小説八宗》を発表,以後《初学小説心得》(1890),《新体詩見本》(1894)など多数のパロディによって,風刺的諧謔的な独特の批評を展開し,毒舌家として知られた。作家としては《油地獄》《かくれんぼ》(ともに1891)が代表作で,花柳界を舞台に〈色〉の海に漂う人間の姿を冷笑的に描くのが彼の本領だった。96年からは《めさまし草》の匿名合評,〈三人冗語(さんにんじようご)〉〈雲中語〉でも活躍したが,その濃厚な江戸趣味のためしだいに時流からはずれ,《あられ酒》(1898),《わすれ貝》(1899)などに収録されたおびただしい数の警句・箴言(しんげん)で当代の野暮や無秩序をののしり,有名な自筆の死亡広告を残して肺結核で死んだ。
執筆者:十川 信介
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(中島国彦)
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…森鷗外主宰の雑誌《めさまし草》第3~7号(1896年3月~7月)において,鷗外,幸田露伴,斎藤緑雨の3人が行った作品合評。〈頭取(とうどり)〉(鷗外)による作品紹介に続いて,〈ひいき〉〈さし出〉などの変名の人物が批評する形式をとる,最初の匿名座談会形式の文芸時評。…
※「斎藤緑雨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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