斯波家兼(読み)しばいえかね

改訂新版 世界大百科事典 「斯波家兼」の意味・わかりやすい解説

斯波家兼 (しばいえかね)
生没年:1308-56(延慶1-正平11・延文1)

南北朝時代の武将。足利宗氏(一名家貞)の次男。初名時家。通称彦三郎。官途式部丞,伊予守,左京大夫。足利尊氏に従い,1336年(延元1・建武3)若狭守護となり,越前守護の兄斯波高経をたすけて北陸の南朝軍追討に尽くしたが,結局高経が若狭守護を兼ねたので,観応擾乱には高経と分かれて尊氏党として活動し,引付頭人となり若狭守護に復した。さらに54年(正平9・文和3)奥州管領に起用されて下向し,奥州探題大崎氏の祖となった。なお次男兼頼は羽州探題最上氏の祖となる。
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朝日日本歴史人物事典 「斯波家兼」の解説

斯波家兼

没年延文1/正平11.6.13(1356.7.11)
生年延慶1(1308)
南北朝時代の武将。宗氏の子。家貞の子との伝えもあり,また宗氏と家貞は同一人であり,宗氏が家貞と改名したと記す系図もある。高経は兄。家兼の童名は千世鶴丸で,最初は時家と称した。建武政権下における官途は式部丞。建武4/延元2(1337)年伊予守,のち左京権大夫。建武3/延元1年,若狭に派遣され,暦応1/延元3年若狭守護となる。以後若狭,越前で活躍。観応の擾乱では尊氏派に属して行動する。観応2/正平6(1351)年引付三番頭人となる。その後若狭守護に再度転任し,さらに陸奥に下向して,奥州管領として活躍。<参考文献>小川信『足利一門守護発展史の研究』,佐藤進一『室町幕府守護制度の研究』上

(伊藤喜良)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斯波家兼」の解説

斯波家兼 しば-いえかね

1308-1356 南北朝時代の武将。
延慶(えんきょう)元年生まれ。斯波高経(たかつね)の弟。足利尊氏にしたがい,若狭(わかさ)の守護となる。越前(えちぜん)守護の兄をたすけ北陸の南朝方とたたかう。のち室町幕府の引付頭人をつとめる。文和(ぶんな)3=正平(しょうへい)9年奥州に転任し,吉良満家とともに奥州管領(かんれい)となった。戦国大名大崎氏の祖。延文元=正平11年6月13日死去。49歳。初名は時家。

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世界大百科事典(旧版)内の斯波家兼の言及

【大崎氏】より

…先祖は足利一門の斯波(しば)氏。1354年(正平9∥文和3)斯波家兼が室町幕府の陸奥国統治機関の長官である奥州管領として下向したのがはじまり。苗字の由来は祖先が下総国大崎荘を領していたためという。…

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