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明恵【みょうえ】

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  • 朝日日本歴史人物事典の解説

  • 生年: 承安3.1.8 (1173.2.21)
    没年: 貞永1.1.19 (1232.2.11)
    鎌倉初期の学僧で,仏教界の改革者。明恵は房名,諱 は高弁。もと成弁といった。紀伊国有田郡石垣荘吉原村(和歌山県有田郡金屋町)で生まれる。平重国と湯浅宗重の娘との子。8歳にして両親を失い,養和1(1181)年秋に高雄神護寺(京都市)に入る。文治4(1188)年16歳にして叔父上覚上人を師として出家し,東大寺戒壇院で受戒する。建久6(1195)年に遁世して,紀州白上峰に籠る。同9年には高雄にもどり,以後,一時,紀州ほかに移ることがあるが,高雄を拠点として活動する。建永1(1206)年には高山寺(京都市右京区)を開創する。建暦2(1212)年,『摧邪輪』を著して「菩提心を無用としている,浄土宗以外の諸宗(聖道門)を群賊扱いしている」として,法然選述の『選択本願念仏集』を批判し,法然教団に論戦をいどんだことは有名である。 彼は従来,鎌倉旧仏教の改革派,要するに旧仏教僧として理解されてきたが,思想的にも,活動の面でも,鎌倉新仏教の祖師のひとりとして位置づけるべきだとする説もある。すなわち,戒・定・慧の三学において革新を主張し,正確には釈迦に帰ろうとした。戒の面では菩薩戒を,定の面では華厳経読誦しながらの座禅を,慧の面では華厳真言ミックスした教理を唱え,それを核とした新しい教団をつくった。彼は熱烈な釈迦信仰の持ち主で,釈迦の生国インドへの渡航を果たそうと計画したが果たせなかった。また捨身願いから右耳を切り落としたりした。19歳のときから夢の記録を書き始め,死ぬ1年前までそれを続けた。自己の夢を冷静解釈し,修業に活用するなどいわば「夢を生きた人」である。女人救済にも努め,貞応2(1223)年には善妙尼寺を開創する。著作として『四座講式』などがある。<参考文献>松尾剛次「遁世僧と女人救済―新義華厳教団を中心に」(『救い教え』),高山寺典籍文書綜合調査団編『明恵上人資料』1巻
    (松尾剛次)

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  • デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

  • 明恵 みょうえ
     
    1173-1232 鎌倉時代の僧。
    承安(じょうあん)3年1月8日生まれ。華厳(けごん)宗。父は平重国。母は湯浅宗重の娘。叔父の上覚にしたがい,京都神護寺の文覚の弟子となる。建永元年(1206)後鳥羽(ごとば)上皇から栂尾(とがのお)の地をあたえられ,高山寺を創建した。法然を批判した「摧邪輪(さいじゃりん)」,自身の夢の記録「明恵上人夢記」が有名。寛喜(かんぎ)4年1月19日死去。60歳。紀伊(きい)有田郡(和歌山県)出身法名は高弁。
    格言など】憍慢と云う物は,鼠の如し(「栂尾明恵上人遺訓」)
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    (C)Kodansha 2009.
    書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。収録人物のデータは2009年1月20日現在のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

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  • デジタル大辞泉の解説

  • みょうえ 〔ミヤウヱ〕 【明恵】
     
    [1173~1232]鎌倉初期の僧。華厳宗中興の功労者。紀伊の人。諱(いみな)は高弁。栂尾(とがのお)山に高山寺を開き、華厳宗興隆道場とした。また、宋から栄西が将来した茶の栽培でも知られる。著「摧邪輪(ざいじゃりん)」「華厳唯心義」など。
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  • 百科事典マイペディアの解説

  • 鎌倉時代,華厳(けごん)宗の仏僧。明慧とも書く。諱(いみな)は高弁(こうべん)。紀伊(きい)の人。高雄(たかお)山の文覚(もんがく)につき華厳・密教を学ぶ。インド渡航を志して果たさず,栄西(えいさい)について禅をきわめた。 (1173-1232)
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  • 大辞林 第三版の解説

  • みょうえ【明恵】
     
    (1173~1232) 鎌倉初期の僧。紀伊の人。華厳宗の中興の祖。諱(いみな)は高弁。高雄山の文覚に師事し,のち紀伊白上の峰で修行した。後鳥羽上皇から栂尾(とがのお)山を賜り,高山寺を創建して華厳宗興隆の中心道場とした。戒律を重んじ,著書「摧邪輪」で法然を批判。また,宋から将来した茶を栂尾山で栽培した。

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