梶井基次郎(読み)かじいもとじろう

精選版 日本国語大辞典 「梶井基次郎」の意味・読み・例文・類語

かじい‐もとじろう【梶井基次郎】

小説家大阪市生まれ。結核を病みながら、鋭い感受性と強い生命力に貫かれた短編を書いた。同人雑誌「青空」を創刊。著作「檸檬(れもん)」「城のある町にて」「冬の蠅(はえ)」「のんきな患者」など。明治三四~昭和七年(一九〇一‐三二

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デジタル大辞泉 「梶井基次郎」の意味・読み・例文・類語

かじい‐もとじろう〔かぢゐもとジラウ〕【梶井基次郎】

[1901~1932]小説家。大阪の生まれ。胸を病みながらも冷静に自己を凝視し、鋭敏な感覚的表現で珠玉の短編を残した。「檸檬れもん」「城のある町にて」「冬の蠅」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梶井基次郎」の意味・わかりやすい解説

梶井基次郎
かじいもとじろう
(1901―1932)

小説家。明治34年2月17日、大阪市に生まれる。第三高等学校理科を経て1924年(大正13)東京帝国大学英文学科に入学。三高時代すでに肺結核にかかっていた。25年、中谷孝雄(なかたにたかお)、外村繁(とのむらしげる)らと同人雑誌『青空』を創刊、『檸檬(れもん)』『城のある町にて』などを発表し、病んだ心身についての自覚と健康回復への願いとを、鋭敏な感覚的表現に託した。26年末から伊豆の湯ヶ島に転地療養。『蒼穹(そうきゅう)』『冬の蠅(はえ)』(ともに1928)などを発表、自ら「リヤリスチック・シンボリズム」とよぶ手法によって、死を予感する自己を冷静に凝視した。この間、病状が進み、28年(昭和3)秋、大阪の両親のもとに帰る。大学のほうは同年3月に除籍された。帰阪後は療養に努めながら、『桜の樹(き)の下には』(1928)、『愛撫(あいぶ)』(1930)、『交尾』(1931)などの詩的散文を発表した。31年、創作集『檸檬』を武蔵野(むさしの)書院より刊行、翌32年1月、文壇の登竜門といわれた『中央公論』に『のんきな患者』を書き、病者である自己と他者との関係主題とした新しい作風を示したが、3月24日永眠した。今日では20年代後半の正統的芸術派の作家として高く評価されている。

[吉田凞生]

『『梶井基次郎全集』全3巻(1959・筑摩書房)』『鈴木沙那美著『転位する魂 梶井基次郎』(社会思想社・現代教養文庫)』『大谷晃一著『評伝梶井基次郎』(1978・河出書房新社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梶井基次郎」の意味・わかりやすい解説

梶井基次郎
かじいもとじろう

[生]1901.2.17. 大阪,大阪
[没]1932.3.24. 大阪
小説家。第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に学んだが,結核を病んで中退。在学中の 1925年同人雑誌『青空』を創刊し,この年に『檸檬』『城のある町にて』『泥濘(でいねい)』『路上』『橡(とち)の花』など,青春の虚無と退廃の詩情を繊細な文体で綴った秀作を同誌に次々と発表したが,文壇からはまったく黙殺された。1926年病状悪化のため伊豆湯ヶ島温泉に移り,その後病める自意識の心象風景を描いた『冬の日』(1927)を発表して翌 1928年に上京,ボードレール風な幻想性に富む散文詩『桜の樹の下には』(1928)などでようやく文壇の注目を集めるようになった。しかし病重く,大阪の両親のもとに戻った。1930年創作にとりかかり,性の感覚的表現に新境地を開いた『愛撫(あいぶ)』(1930),『闇の絵巻』(1930),『交尾』(1931)を書いた。この間,淀野隆三ら旧『青空』の同人が彼の才能を惜しみ,梶井の作品 18編による創作集『檸檬』(1931)を出版した。これを機に初めて『中央公論』から依頼を受け,『のんきな患者』(1932)を発表,大阪での療養生活を描いて,苦悩を突きつめた明るさの予兆に作風の転換を思わせ,文壇の認めるところとなったが,この作品が絶筆となった。鋭い感受性と的確な表現に恵まれた作家で,その透徹した作風は死後ますます高く評価され,1934年『梶井基次郎全集』が出版された。

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改訂新版 世界大百科事典 「梶井基次郎」の意味・わかりやすい解説

梶井基次郎 (かじいもとじろう)
生没年:1901-32(明治34-昭和7)

小説家。大阪生れ。東大英文科中退。三高入学後に中谷孝雄(なかたにたかお),外村繁(とのむらしげる)らと知って文学への関心を深め,頽廃的な生活を送り,肺結核になるが作家への道を志す。1924年東大に入学,翌年中谷,外村らと雑誌《青空》を創刊し,同誌に《檸檬(れもん)》《城のある町にて》(ともに1925)など後に梶井の代表作とされる佳作を発表するが,文壇からは注目されなかった。26年から伊豆の湯ヶ島温泉に転地療養し,その間に《冬の日》(1927),《冬の蠅》(1928)などの自己と外界への認識の深まりを示す作品が書かれた。28年病状悪化して郷里の大阪に帰り,病気と闘いつつ生と死の極点を清澄な目でみつめた《交尾》(1931),《のんきな患者》(1932)を発表したのち,病没。近代的な倦怠,憂鬱,不安をまれにみる清澄鋭敏な感覚で詩的に定着させたその文学は時の経過とともに評価が高まり,今日では近代の古典の地位を占めている。
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百科事典マイペディア 「梶井基次郎」の意味・わかりやすい解説

梶井基次郎【かじいもとじろう】

小説家。大阪市生れ。東大英文科中退。1925年外村(とのむら)繁らと同人雑誌《青空》を創刊,《檸檬(れもん)》《城のある町にて》を書いた。結核療養のため,1926年から伊豆湯ヶ島温泉に居を移し,1928年までに《冬の日》《冬の蝿》《桜の樹の下には》などを書いている。鋭い感受性と豊かな詩情のまじりあった短編が多い。1931年《交尾》などを発表,創作集《檸檬》を刊行した。ようやく文壇に認められはじめてまもなく肺患で没した。しかし,死後,評価は時とともに高まり,今日では近代日本文学の古典のような位置を占めている。《梶井基次郎全集》3巻がある。
→関連項目象徴主義

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「梶井基次郎」の解説

梶井基次郎 かじい-もとじろう

1901-1932 大正-昭和時代前期の小説家。
明治34年2月17日生まれ。大正14年中谷孝雄,外村繁らと同人誌「青空」を創刊し,「檸檬(レモン)」などを発表。15年結核療養のため伊豆(いず)湯ケ島に転地し,「冬の日」「冬の蠅(はえ)」などを執筆。繊細な感覚による詩的散文ともいうべき作品は,死後,声価をたかめた。昭和7年3月24日死去。32歳。大阪出身。東京帝大中退。作品はほかに「のんきな患者」など。
【格言など】桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!(「桜の樹の下には」)

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