武市熊吉(読み)たけち・くまきち

朝日日本歴史人物事典 「武市熊吉」の解説

武市熊吉

没年:明治7.7.9(1874)
生年天保11(1840)
赤坂食違坂事件首謀者。土佐国土佐郡潮江村(高知市)生まれ。諱は正幹,熊吉は通称。資性豪胆で武芸に長じた。戊辰戦争では,甲州勝沼や北関東の戦闘で大胆な斥候として軍功を挙げた。明治5(1872)年には外務省10等出仕の職にて参議西郷隆盛,板垣退助らの密命を帯びて,薩摩出身の池上四郎と共に満州(中国東北部)に出張,軍事的偵察を遂げて6年4月に帰国復命した。しかし10月の征韓論政変で西郷,板垣らが下野したのは,岩倉具視右大臣が西郷,板垣らの政策を陰謀的に遮ったためと怒った武市は同志と共に明治7年1月14日,赤坂食違坂で岩倉を襲撃して殺害せんとしたが失敗して,斬刑に処せられた。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武市熊吉」の解説

武市熊吉 たけち-くまきち

1840-1874 明治時代官吏
天保(てんぽう)11年生まれ。もと土佐高知藩士。明治5年外務省にはいり,西郷隆盛らの命で清(しん)(中国)を調査。翌年西郷らの征韓論が岩倉具視(ともみ)らにやぶれ辞職。7年同志とともに岩倉を東京の赤坂喰違(くいちがい)で襲撃して捕らえられ,同年7月9日処刑された。35歳。名は正幹。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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