河浦(読み)かわうら

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河浦」の意味・わかりやすい解説

河浦
かわうら

熊本県南西部天草(あまくさ)郡にあった旧町名(河浦町)。現在は、天草市の南西部を占める地区。旧河浦町は1954年(昭和29)一町田(いっちょうだ)、新合(しんごう)、富津(とみつ)の3村が合併して町制施行。1956年宮野河内(みやのかわち)村を編入。2006年(平成18)本渡(ほんど)市、牛深(うしぶか)市、有明(ありあけ)町、御所浦(ごしょうら)町、倉岳(くらたけ)町、栖本(すもと)町、新和(しんわ)町、五和(いつわ)町、天草町と合併し、天草市となった。旧町域は天草下島の中南部を占め、域内を国道266号、389号が走る。羊角(ようかく)湾に流入する一町田川ほか数条の河川沿いの沖積低地を除けば、ほとんどが堆積(たいせき)岩からなる低山性山地である。八代海(やつしろかい)、天草灘(なだ)に臨むが、漁業の地位は低く伝統的な主産業は稲作農業と薪炭(しんたん)業で、副次的なものとして、明治時代に入ってから本格化した石炭採掘業があった(1964年廃止)。昭和40年代に入ると、育てる漁業が新たな海面利用(ハマチ、タイ、真珠養殖)を生み出し、燃料革命が改植による用材林業(ヒノキスギ)や果樹農業(ミカン類)を旧薪炭材林地を中心に育成させた。さらに、炭鉱離職者の救済事業とも絡み、繊維、織物工業の導入もみた。

 西部の崎津(さきつ)は隠れキリシタンの集落として有名で、崎津天主堂がある。また「虫追い祭」の内容が集落ごとにかなり異なっていることは、集落間の交流の少なさを示す。かつて、日本各地で広く行われていた「嫁御の尻打ち(よめごのしりうち)」が、奇妙な民俗行事として残っている(正月16日、尻打ち棒をもった子供たちが、新婚の家を回る)。牛深地区との境にある六郎次山(ろくろうじやま)(405メートル)は国の名勝。雲仙天草国立公園(うんぜんあまくさこくりつこうえん)域に含まれる。

[山口守人]

『『河浦町郷土史1~4』(1958~1964・河浦町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「河浦」の意味・わかりやすい解説

河浦
かわうら

熊本県南西部,天草市南西部の旧町域。天草諸島下島南部にある。1954年一町田村(いっちょうだむら),新合村,富津村の 3村が合体して町制施行。1956年宮野河内村を編入。2006年本渡市,牛深市,有明町,御所浦町,倉岳町,栖本町,新和町,五和町,天草町の 2市 7町と合体して天草市となる。中心地区の一町田には鎌倉時代,天草氏の居城があった。崎津は天草西岸屈指の良港で,江戸時代には海運業者の停泊地として繁栄。江戸時代の潜伏キリシタンの地としても知られ,2018年崎津天主堂一帯が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産として世界遺産の文化遺産に登録された。和牛の産地で,半農半漁が営まれる。南部に国の名勝,六郎次山(ろくろうじやま)がある。一部は雲仙天草国立公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「河浦」の意味・わかりやすい解説

河浦 (かわうら)

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