かた‐おか ‥をか【片岡】
[1] 〘名〙
① 裾の
一方が
他方より長く、なだらかに傾斜した岡。
一説に、
一つだけの、孤立した岡。
※
万葉(8C後)七・一〇九九「片岡
(かたをか)のこの向つ峯に椎蒔
(ま)かば今年の夏の蔭にならむか」
[2] 奈良県北葛城郡王寺町
一帯の
丘陵。生駒山の南裾、葛下
(かつげ)川左岸にあたる。
歌枕。
※
書紀(720)推古二一年一二月「十二月、庚午朔
(ついたち)の日、皇太子片岡に遊行
(い)でましたま
ひき」
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デジタル大辞泉
「片岡」の意味・読み・例文・類語
かたおか【片岡】[地名]
京都市北区、上賀茂神社の東にある山。片岡の杜。[歌枕]
「ほととぎす声待つほどは―のもりの雫に立ちや濡れまし」〈新古今・夏〉
奈良県北葛城郡王寺町から香芝市にかけての丘陵。片岡山。[歌枕]
「―のこの向つ峰に椎まかば今年の夏の陰にならむか」〈万・一〇九九〉
かた‐おか〔‐をか〕【片岡】
一方が切り立ち、他方がなだらかになっている丘。また、一つだけの孤立した丘。
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片岡
かたおか
葛下川流域、現河合・王寺・上牧・香芝各町、大和高田市にわたる一帯の総称で、「片岡の葦田」ともいわれた。大和高田市北部の大字大谷に小字片丘が残る。「多聞院日記」天正一二年(一五八四)一二月一四日条に「片岡ノ薬井」と記す薬井は現河合町の大字。
「日本書紀」綏靖天皇即位前紀一一月条に手研耳命が「片丘の大」の中で殺されたとみえ、「延喜式」(諸陵寮)には孝霊天皇片丘馬坂陵・顕宗天皇傍丘磐杯丘南陵・武烈天皇傍丘磐杯丘北陵・茅渟皇女片岡葦田墓の陵墓がある。また「日本書紀」推古天皇一五年条には肩岡池築造のことがみえ、現王寺町内に比定、同二一年一二月一日条には片岡山に遊行した聖徳太子が路傍の飢人を哀れんだという説話を載せる。
片岡
かたおか
「春日社記録」中臣祐重記の養和二年(一一八二)正月七日条に「宇陀方岡」とみえる。片岡は春日社神供料所と考えられる。以後も正月七日の御節供を務めている。宇陀郡田地帳案(春日神社文書)では
<資料は省略されています>
とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報