片岡直温(読み)かたおかなおはる

日本大百科全書(ニッポニカ) 「片岡直温」の意味・わかりやすい解説

片岡直温
かたおかなおはる
(1859―1934)

実業家、政治家。安政(あんせい)6年9月18日土佐国(高知県)に生まれる。小学校教員、郡書記、滋賀県警察部長を務めたのち、1889年(明治22)官界を去り、日本生命保険会社を創立し、副社長、社長を歴任。同時に共同銀行、紀和鉄道、関西鉄道の社長、重役として実業界で活躍。かたわら、1892年高知から代議士に立候補以降、衆議院議員当選6回、大正時代は憲政会総務を務めた。1925年(大正14)憲政会内閣の商工大臣、翌年大蔵大臣となる。蔵相時代に議会で震災手形損失補償法案の審議中、破綻(はたん)寸前の東京渡辺銀行を破綻したと失言したことが金融恐慌発端となり、内閣倒壊の因となる。1930年(昭和5)に貴族院勅選議員となる。昭和9年5月21日没。

[大森とく子]


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改訂新版 世界大百科事典 「片岡直温」の意味・わかりやすい解説

片岡直温 (かたおかなおはる)
生没年:1859-1934(安政6-昭和9)

実業家,政治家。高知県出身。高知陶冶学校(後の師範学校)卒業後,郡役所に勤務。1880年上京して伊藤博文に知られ,一時帰郷して自由党に対抗し高陽会を組織。のち,滋賀県警察部長。89年弘世助太郎と日本生命保険会社創立。92年,98年と1908年より代議士に6回当選。25年第2次加藤高明内閣の商工相,第1次若槻礼次郎内閣の蔵相となる。在任中の27年震災手形処理法案の審議中の失言によって金融恐慌を誘発した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片岡直温」の解説

片岡直温 かたおか-なおはる

1859-1934 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
安政6年9月18日生まれ。片岡直輝の弟。明治22年日本生命保険の創立にかかわり,36年社長に就任。また25年衆議院議員(当選8回,憲政会)となり,第2次加藤高明内閣の商工相,第1次若槻内閣の商工相,蔵相。蔵相在任中の昭和2年震災手形処理をめぐる発言が金融恐慌の発端となった。昭和9年5月21日死去。76歳。土佐(高知県)出身。高知陶冶(とうや)学校卒。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「片岡直温」の解説

片岡直温
かたおかなおはる

1859.9.18~1934.5.21

明治~昭和前期の政治家。土佐国生れ。1889年(明治22)日本生命の創立に参加。副社長,のち社長に就任。92年代議士となり,戊申(ぼしん)倶楽部をへて,同志会・憲政会・民政党に所属。1925年(大正14)加藤高明改造内閣の商工相,翌年第1次若槻内閣の蔵相となるが,27年(昭和2)震災手形法案に関して失言問題をおこし,内閣退陣の原因となった。30年総選挙に落選するが,貴族院議員に勅選。

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