精選版 日本国語大辞典 「瑩山紹瑾」の意味・読み・例文・類語
けいざん‐じょうきん ‥ゼウキン【瑩山紹瑾】
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鎌倉末期の曹洞(そうとう)宗の僧。越前(えちぜん)(福井県)多禰(たね)の人。永平寺第3世で加賀(石川県)大乗寺を開山した徹通義介(てっつうぎかい)の法を嗣(つ)いで、大乗寺2世となる。能登(のと)に永光寺(ようこうじ)、総持寺(そうじじ)(のちに大本山となる)などを開き、明峯素哲(めいほうそてつ)(1277―1350)、峨山韶碩(がさんじょうせき)ら、数十人の門下を育成した。『伝光録(でんこうろく)』『信心銘拈提(しんじんめいねんてい)』『洞谷記(とうこくき)』『坐禅(ざぜん)用心記』などを著し、のちの『瑩山和尚清規(おしょうしんぎ)』を制定した。また、永光寺に伝燈院五老峯(でんとういんごろうほう)を創設し、僧団統一の基盤を固め、女人教化に努めるなど、大乗菩薩(ぼさつ)道精神に則して、永平寺の道元(どうげん)の禅風を、個性的に、そして飛躍的に発展させた。その法系は、曹洞宗約1万5000か寺のおよそ9割を占める。1877年(明治10)曹洞宗太祖(たいそ)とされ、道元(どうげん)(高祖(こうそ))と並んで、その称号が定められた。仏慈(ぶつじ)禅師、弘徳円明(こうとくえんみょう)国師、常済(じょうさい)大師などの諡号(しごう)がある。
[東 隆眞 2017年6月20日]
『『常済大師全集』全1巻(1937・大本山総持寺)』▽『東隆眞著『瑩山禅師の研究』(1974・春秋社)』
(竹内弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1268.10.8~1325.8.15
鎌倉後期の曹洞宗の僧。能登国総持寺開祖。13歳で永平寺の懐奘(えじょう)に従い出家。懐奘死後,加賀国大乗寺の徹通義介(てっつうぎかい)について修行。その間,東福寺の慧暁,紀伊国興国寺の覚心らから臨済禅を学んだ。大乗寺,加賀国浄住寺,能登国永光寺などをへて1321年(元亨元)総持寺を開いた。門下に峨山韶碩(がさんじょうせき)・明峰素哲(めいほうそてつ)がでて,瑩山派として教団の全国的広がりの基礎を築いた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…鎌倉後期の曹洞禅僧で,大本山総持寺の開山。日本曹洞宗の太祖,諡(おくりな)は仏慈禅師,弘徳円明国師,常済大師。号は瑩山(けいざん)。越前多禰(たね)郡(現,福井県武生市)に生まれ,13歳で永平寺に出家し,2世孤雲懐奘(こうんえじよう)や大野郡宝慶寺開山の寂円など道元の弟子に学び,京都の禅僧や紀伊興国寺の心地覚心(しんちかくしん)らに参禅した。のち北陸に帰り,加賀大乗寺の徹通義介(てつつうぎかい)の弟子となり,修行を重ねた。…
※「瑩山紹瑾」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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