石塚重平(読み)いしづか・じゅうへい

朝日日本歴史人物事典 「石塚重平」の解説

石塚重平

没年:明治40.8.12(1907)
生年:安政2.10.10(1855.11.19)
明治期の政治家信濃国(長野県)佐久郡小諸に生まれる。自由民権思想に共鳴し盤鴻社を設立,佐久地方の民権運動を指導,明治14(1881)年自由党の結成とともに入党した。18年11月大井憲太郎らの大阪事件に連座,軽禁固1年半,監視10カ月に処せられたが,22年2月憲法発布の大赦令出獄。23年立憲自由党幹事,27年第4回総選挙で長野県から衆院議員に初当選,以後当選4回。36年4月伊藤博文政友会総裁の専制に反対して,板倉中,竜野周一郎,持田若佐と共に同会を除名された。

(寺崎修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石塚重平」の解説

石塚重平 いしづか-じゅうへい

1855-1907 明治時代の政治家。
安政2年10月10日生まれ。自由民権運動にくわわり,明治10年長野県小諸(こもろ)で盤鴻社(ばんこうしゃ)をおこす。18年大阪事件の資金調達者として入獄。23年立憲自由党の幹事。27年衆議院議員(当選4回)。政友会創立に参加したが,36年伊藤博文総裁の専制に反対して除名された。明治40年8月12日死去。53歳。信濃(しなの)(長野県)出身

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