世界大百科事典(旧版)内の租税法院の言及
【オーベルニュ】より
…1665年ルイ14世が,特別の巡回法廷をクレルモンで開かせた時には,暴虐な地方貴族に対する訴えが1200件を超えたといわれる。高等法院はなかったが,クレルモン・フェラン(1731年クレルモンとフェランが合併)には租税法院が置かれており,これが王国の機関としては最も重要なものであった。哲学者パスカルの父親エティエンヌ・パスカルはその評定官であり,パスカル自身もクレルモンで生まれている。…
※「租税法院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」