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古代の日本列島北部に居住した民族。本来は中国の古典で極遠の地に住むとされた伝説上の民族で,挹婁(ゆうろう)・勿吉(ぶつきつ)・靺鞨(まっかつ)などはその後裔とされる。欽明5年に佐渡に到来したのが初見で,660年(斉明6)には阿倍比羅夫(ひらふ)の軍と交戦した。696年(持統10)には渡島(わたりのしま)の蝦夷(えみし)とともに朝貢しており,蝦夷とは異なる民族とされる。中国大陸からサハリン・北海道方面に渡来したツングース系民族ともいわれるが,不明。8世紀以降は靺鞨と称され,また蝦狄(かてき)・狄と称された集団に粛慎・靺鞨が含まれる可能性がある。「みしはせ」の読みが一般的だが,粛慎・靺鞨とも「あしはせ」が本来の読みと考えられる。
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…アイヌをどう定義するか,とりわけ現代のアイヌをどう認識し,どう定義するか,という問題は,彼らを取り巻く歴史的環境とその中での彼らの自己認識のあり方や,〈民族〉の定義の問題とも深く関わっているだけに,その定義のしかたは,時代とともに大きく揺れ動いてきた。1960年代ころまでのアイヌの現状に対する研究者を含めた大方の認識の特徴は,彼らを和人とは異なる固有の文化を有した一つの民族とはみないで,彼らは,いずれ和人に同化される,との認識を前提にして,〈アイヌ系住民〉〈アイヌ系日本人〉と称したところにある。…
…3世紀,魏・晋期以降になると,今の吉林・黒竜江両省から沿海州方面に居住した漢代の挹婁(ゆうろう),南北朝期の勿吉(こつきつ),隋・唐期の靺鞨(まつかつ),宋以降の女真をその後裔とする考えが行われた。《日本書紀》に見える粛慎(みしはせ)は,東北・北海道地方の異民族を呼んだもの。【安田 二郎】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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