総合雑誌(読み)そうごうざっし

精選版 日本国語大辞典 「総合雑誌」の意味・読み・例文・類語

そうごう‐ざっし ソウガフ‥【総合雑誌】

〘名〙 思想・政治・経済・文芸・科学などに関する評論や創作、または随筆などを総合的に編集して作りあげる雑誌。
※生活の探求(1937‐38)〈島木健作〉二「大衆雑誌から、高級と云はれる綜合雑誌まで取りまぜであった」

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デジタル大辞泉 「総合雑誌」の意味・読み・例文・類語

そうごう‐ざっし〔ソウガフ‐〕【総合雑誌】

思想・政治・経済・文芸・科学など、さまざまな分野の論文・評論や創作などを総合的に掲載する雑誌。言論誌。オピニオン誌
[補説]日本では特に「国民之友」「中央公論」「太陽」「改造」「解放」「我等」「文芸春秋」「展望」などをさす。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「総合雑誌」の意味・わかりやすい解説

総合雑誌
そうごうざっし

政治、経済、文化、思想などの広い分野にわたる論文やエッセイルポルタージュ、人物論などのいわゆる中間読み物、それに創作を配して編集される雑誌。

[海老原光義・小林一博]

第二次世界大戦前

総合雑誌という名称は、太平洋戦争下、政府が実施した雑誌統廃合による用紙割当て(強い言論統制の面をもっていた)の際に定着したのであるが、こうした雑誌の源流をたどれば、『国民之友』(1887創刊)、『太陽』(1895創刊)、さらに『明六(めいろく)雑誌』(1874創刊)にまでさかのぼることができよう。しかし、高い知的要素と中間読み物が共存し、外国には例をみないこうした総合雑誌のスタイルが典型的に形成されるのは、西本願寺の若い僧侶(そうりょ)たちが「禁酒と進徳」を標語として発刊した『反省会雑誌』(1887創刊)が、1899年(明治32)『中央公論』と改題され、名編集者滝田樗陰(ちょいん)の活躍によって仏教色を払拭(ふっしょく)し、多くの知識人をとらえる高級雑誌に変貌(へんぼう)を遂げた1910年代から20年代にかけてとみてよいであろう。当時の『中央公論』は、民本主義の吉野作造や大山郁夫(いくお)らの進歩的言論を掲載するとともに、中間読み物や文芸欄を充実して、夏目漱石(そうせき)、森鴎外(おうがい)など既成の作家に加えて、宮本(中条)百合子(ゆりこ)のような新人をも大胆に登場させて話題をよび、読者層も急速に拡大していった。1919年(大正8)4月『改造』が、時代の風潮を反映して、より急進的なマルクス主義的論調を看板に掲げて創刊され、両誌は毎号激しくその編集を競うようになった。

 他方、菊池寛(かん)編集の文芸雑誌として出発し、時事問題にまで編集の範囲を広げた『文芸春秋』(1923創刊)と、経済中心の雑誌であった『経済往来』(1926創刊)が『日本評論』と改題(1936)して総合雑誌に移行し、しばらくはこれら4誌競合の時代が続いた。しかし、日中戦争の長期化・太平洋戦争の勃発(ぼっぱつ)は、ジャーナリズム全体を著しく右翼化させ、『現代』(1920創刊)、『公論』(1939創刊)などとともに『文芸春秋』も過激な国粋主義を唱えるようになり、合理主義の命脈をわずかに保っていた『中央公論』『改造』『日本評論』などは、編集者が次々と検挙される横浜事件がフレームアップされるなかで、『中央公論』『改造』の2誌が1944年(昭和19)7月東条内閣から自発的廃刊・閉社を命ぜられた。戦争末期の両誌はすでに全面的に軍・政府に協力していたのであり、この処置は、権力の恣意(しい)的行使としかいいようのないものであった。

[海老原光義・小林一博]

第二次世界大戦後

1945年(昭和20)日本の無条件降伏は、これら『中央公論』『改造』の華々しい復活を可能にし、軍・政府の無責任に怒り、自由な言論に飢えていた国民は、競って総合雑誌に民主主義の理念や情報を求め、『新生』『展望』『潮流』『世界』『世界評論』『朝日評論』『日本評論』『文芸春秋』などおびただしい数の総合雑誌が創・復刊された。しかし、そのほとんどが短命に終わり、復刊した『改造』もまた姿を消した(1955)。敗戦直後創刊され、その編集方針を持続して今日に至っているのは『世界』1誌だけである。なお、娯楽読み物的週刊誌の氾濫(はんらん)のなかで『朝日ジャーナル』(1959創刊)が総合雑誌型の週刊誌として健闘したが、1992年(平成4)に休刊に追い込まれた。

 安定ムードのなかで総合雑誌はかつての生彩を失っているといわれ、体制批判、反権力の伝統をもつこの分野でも中間化、保守化が趨勢(すうせい)のようである。商業雑誌としての限界をもつとはいえ、独自の批評性を売り物としてきた総合雑誌の行方は混沌(こんとん)としている。とくに、1970年代に始まる教育情報産業化の時代、80年代のニューメディア時代、90年代の電子化、インターネット時代への対応は各誌とも不十分といわれている。評論や批評よりも解説を、解説よりも素材情報を好む若い世代の傾向のなかでは、従来型の総合雑誌は存在そのものに疑問が呈されているともいえよう。

[海老原光義・小林一博]

『鈴木均「総合雑誌の停滞と変容」(『ジュリスト増刊総合特集5 現代のマスコミ』所収・1976・有斐閣)』『田所太郎著『戦後出版の系譜』(1976・日本エディタースクール出版部)』『内川芳美・新井直之編『日本のジャーナリズム』(1983・有斐閣)』『畑中繁雄著『日本ファシズムの言論弾圧抄史』復刻版(1986・高文研)』『石坂悦男編『マスメディア産業の転換――情報革命でどう変わるか』(1987・有斐閣)』『清水英夫著『マスメディアの自由と責任』(1993・三省堂)』

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改訂新版 世界大百科事典 「総合雑誌」の意味・わかりやすい解説

総合雑誌 (そうごうざっし)

政治社会評論と文芸作品とを主内容にして,すぐれた知的成果を実現しようとする雑誌。諸外国ではその内容の主軸によって評論誌,文芸誌と区別されているのが普通で,総合雑誌という呼称には日本特有の事情がある。昭和初年までは一般に〈高級雑誌〉の名が用いられていた。第2次大戦中の雑誌統制で,用紙割当てと編集内容の規制を行ったさいに,〈総合雑誌〉の類別がなされたことが始まりである。

 徳富蘇峰が1887年に創刊した《国民之友》は,彼が青年期に主唱した平民主義の論説や民友社同人らの評論とともに,二葉亭四迷などの小説を掲載して,総合雑誌の基本的なスタイルを確立した。博文館の《太陽》(1895)もその形式にならったが,これをいっそう大胆に発展させたのが大正時代の《中央公論》と《改造》とであった。《中央公論》(1887年創刊の《反省会雑誌》が99年に改題)の編集長滝田樗陰(ちよいん)は,吉野作造を起用して民本主義の論説評論を連打するとともに若い作家群を発掘して魅力を加えた。山本実彦(さねひこ)が経営した《改造》(1919)はマルクス主義やアインシュタインの相対性原理など世界の新しい思想動向を特集することによって青年の関心をリードした。両誌の発行社はそれぞれに女性むけの総合雑誌《婦人公論》(1916),《女性改造》(1922)を刊行して成功するほどに,知的な雑誌は第1次大戦後の革新の風潮ととけあっていた。菊池寛が《文芸春秋》(1923)で座談会などくつろいで読める雑誌を考案したころから,《中央公論》《改造》にも読みものの占める比率が多くなっていった。満州事変の開始以後,これらの雑誌は時局読本などと題した臨時増刊号を刊行して戦争気運に同調することが多くなった。それでも内務省や軍による検閲において規制対象となることは総合雑誌がもっとも多く,第2次大戦末期の思想弾圧だった横浜事件でも《中央公論》《改造》の編集者たちが受難した。

 第2次大戦後に生まれた総合雑誌のなかでは,《世界》(1946)がもっとも大きな影響力を保っている。マルクス主義の再検討を迫る主体性論争をその誌上で提起したのにつづいて,1950年のサンフランシスコ講和条約が旧連合国との〈全面講和〉でないことを重視して平和への脅威に荷担する危険を訴えた。知識人を結集して危機を食いとめようという発想が,60年の日米安保条約改定にさいしてもこの雑誌に大きな役割を発揮させた。70年代以降に《世界》は,公害問題の摘発と理論的解明,朝鮮半島の政治文化情勢の分析に力をそそいでいる。《中央公論》は,占領下におきた松川事件について作家広津和郎が冤罪を訴えた《松川裁判》を長期連載したが,1960年秋に深沢七郎のパロディ小説《風流夢譚》を掲載したことが社長嶋中鵬二邸に右翼テロを招く結果となり,天皇制と皇室とについてはみずから口をとざすということを嶋中が明示してしまった(風流夢譚事件)。

 戦後の《文芸春秋》は,推理作家松本清張が占領期と昭和戦前の史実にいどんだ《日本の黒い霧》《昭和史発掘》を長期連載するなどドキュメンタリーな方法によって読者を獲得し,国民雑誌という評を得るにいたった。とくに児玉隆也,立花隆を起用して田中角栄首相の政治資金工作をあばいた〈金脈追及〉記事は,在日外国人記者たちの首相会見要求をみちびいてロッキード事件に先立つ田中内閣退陣を実現させた。上記の各誌はいずれも月刊誌であるが,このほかに週刊で総合雑誌の性格が濃いものに《朝日ジャーナル》(1959),《エコノミスト》(1923)がある。また,《太陽》(1963)はグラフィックな総合雑誌として独自の伝統を築いた。
雑誌
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「総合雑誌」の意味・わかりやすい解説

総合雑誌
そうごうざっし

論文や評論,それに随筆や小説など硬軟さまざまな記事を内容とする知識人向けの雑誌。おもに月刊。日本で最初の総合雑誌は,博文館が 1895年1月に創刊した『太陽』であるといわれる (1928.2.終刊) 。第2次世界大戦前の代表的な総合雑誌は,『中央公論』『改造』『文藝春秋』『日本評論』などであった。終戦直後にはいったん総合雑誌ブームが起ったが,その時期に創刊されていまなお健在なのは『世界』 (岩波書店) くらいで,総合雑誌だけで日本の知的世論,論壇を形成した時代は過ぎたといえよう。

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世界大百科事典(旧版)内の総合雑誌の言及

【雑誌】より

…芸術や科学の諸領域の雑誌も,とくに第1次世界大戦以後に盛んとなり,写真の採用やレイアウト,用紙,造本などのくふうもすすんだ。しかし,日華事変から第2次世界大戦にかけて,内容や資材についての統制が強化され,その過程で時局を論ずることを主とする雑誌には〈総合雑誌〉という日本独特の官製呼称が与えられた。
[大衆雑誌と女性雑誌の出現]
 産業革命と都市化の進行によって,安い読物をもとめる新しい読者層が生まれ,大部数を競う娯楽雑誌が登場した。…

※「総合雑誌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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