能美(読み)ノミ

デジタル大辞泉 「能美」の意味・読み・例文・類語

のみ【能美】

石川県南部にある市。手取川南岸に田園地帯が広がる。平成17年(2005)2月根上ねあがり町、寺井町辰口たつのくち町が合併して成立。人口4.9万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「能美」の意味・わかりやすい解説

能美[市] (のみ)

石川県南部の市。2005年2月辰口(たつのくち),寺井(てらい),根上(ねあがり)の3町が合体して成立した。人口4万8680(2010)。

能美市東部の旧町。旧能美郡所属。人口1万4343(2000)。手取川南岸に位置し,北部に手取川扇状地の扇頂部が開けるが,南部には能美山地に属する丘陵が広く分布する。主産業は織物を中心とする繊維工業で,加賀産業開発道路の開通とともに発展した。九谷焼の窯業,土石製品製造業,鉄鉱業なども行われる。北部の手取川沿いの低地早場米の産地で,中央部の丘陵地には県の辰口放牧場がある。江戸時代に開かれた辰口温泉食塩泉,26~48℃)はおもに関西からの湯治客でにぎわう。旧石器時代の石器を出土した灯台笹(とだしの)遺跡,能美古墳群に含まれる西山古墳群がある。
執筆者:

能美市西部東寄りの旧町。旧能美郡所属。人口1万5308(2000)。金沢平野の中央部,小松市の北にあり,北部を手取川が流れ,中央部に和田山,寺井山などの小丘陵地帯がある。南北に国道8号線が縦断し,北陸鉄道能美線が東西に走る(1980年廃止)。町域中央部に能美古墳群があり,近世末以降は九谷焼の町として発展した。明治期には〈庄三(しようざ)風〉といわれた名工九谷庄三(1816-83)の窯を中心に輸出向けの量産が始められ,〈寺井の九谷焼〉として全国に知られている。毎年5月3~5日には九谷茶碗祭が行われる。近年は機械,繊維,陶磁器,電気器具などの工場進出が行われ,鉄工団地も造成された。
執筆者:

能美市西部西寄りの旧町。旧能美郡所属。人口1万5426(2000)。手取川河口左岸の扇状地を占め,南は小松市に接する。日本海に面して根上砂丘が発達し単調な砂浜海岸をなす。海浜部の〈釜屋〉という名のつく集落ではかつて製塩が行われた。絹・人絹などの織物業が盛んだが,現在は鉄工業や化学工業も立地する。扇状地は早場米産地で,トマト,ナスなどの野菜栽培も行われる。海岸沿いに走る北陸自動車道小松インターチェンジに近く,砂丘の内側のJR北陸本線寺井駅を中心に市街地が発達する。加賀舞子海水浴場がある。
執筆者:

能美 (のうみ)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「能美」の意味・わかりやすい解説

能美
のうみ

広島県西部、佐伯郡(さえきぐん)にあった旧町名(能美町(ちょう))。現在は江田島市(えたじまし)能美町地区。広島湾内の能美島の中央部を占める。旧能美町は、1955年(昭和30)鹿川(かのかわ)町と高田(たかた)、中(なか)の2村が合併して成立。2004年(平成16)安芸(あき)郡江田島町、佐伯郡大柿、沖美の各町と合併、市制施行して江田島市となった。中央部には低地が広がるが、東部と西部は山地となっている。北部の中町港と広島市宇品(うじな)との間に高速船やフェリーが通じている。中町には江田島市役所が設置されている。温暖な気候を利用して切り花の栽培が盛んで、ミカン、トマト栽培やカキの養殖も行われる。広島市への通勤・通学者も多い。

[北川建次]

『『能美町誌』(1995・能美町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「能美」の意味・わかりやすい解説

能美
のうみ

広島県南西部,江田島市中部の旧町域。広島湾内の能美島の中部にある。 1955年鹿川町と高田村,中村の2村が合体して能美町が発足。 2004年江田島町,沖美町,大柿町の3町と合体して江田島市となった。中心集落の中町は能美島の商業地。地峡部を中心として野菜,花卉,ミカンなどの栽培とカキ養殖が盛ん。宇品港への船便があり広島市への通勤者も多い。

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