朝日日本歴史人物事典 「花柳寿輔(初代)」の解説
花柳寿輔(初代)
生年:文政4.2.19(1821.3.22)
幕末明治期の劇界に君臨した劇場振付師。日本舞踊花柳流流祖。前名は西川芳松,芳次郎。田町の大師匠,雷師匠と呼ばれて畏敬され,錦絵にまで描かれた。江戸芝神明前の玩具商三国屋清兵衛の長男で,幼くして新吉原の台屋魚吉の養子となる。6歳で4代目西川扇蔵に入門,少年時代は7代目市川団十郎門下の役者で市川鯉吉と称した。19歳のとき養父の死を契機に振付を一生の仕事として選び,4年後には市村座の番付に名を連ね,抜群の才能を示す。弘化2(1845)年に師の扇蔵が没すると,相弟子の妬みから破門された。29歳で花柳姓に改め吉原を地盤に独立,翌年団十郎の俳名寿海老人の一字を貰って寿助,のちに寿輔と改名。江戸三座の振付師を兼ね,安政の大地震後は4代目市川小団次,河竹黙阿弥と共に劇壇の三幅対とうたわれた。晩年は剛毅の性格ゆえに9代目市川団十郎と摩擦を生じ衰運に向かったが,その性格によって今日に振付師の権威が高められたともいえる。振付の処女作が「勧進帳」の延年の舞,最後の代表作が「釣 女」で,その間の約60年に振り付けた作品数は1500以上とも。「かっぽれ」などの市井の風俗物から,「土蜘」「船弁慶」など高尚な松羽目物に至るまで,レパートリーは幅広い。2代目は劇場振付師,3代目は花柳流の初めての女性家元で劇場振付からは離れた。<参考文献>河竹繁俊編『初代花柳寿輔』
(丸茂祐佳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報