精選版 日本国語大辞典 「薄田研二」の意味・読み・例文・類語
すすきだ‐けんじ【薄田研二】
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新劇俳優。本名高山徳右衛門。出身地福岡で演劇活動ののち,1925年に築地小劇場に研究生として入り,翌26年1月には土方与志演出《ベニスの商人》のシャイロック役に抜擢された。同劇場解散後の29年,土方らと新築地劇団を結成,社会主義的な演劇活動を展開した。戦後は東京芸術劇場を経て第2次新協劇団に加わっていたが,51年8月劇団中央芸術劇場を結成し,その主宰者となった。そして59年再び村山知義ら新協劇団と手を結び,合同して東京芸術座を結成した。戦前・戦後を通じて社会主義的演劇活動に従事,晩年は69年にススキダ演技研究所を開き,俳優教育にも当たった。自伝《暗転》(1960)がある。映画出演も多数。
執筆者:石沢 秀二
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
新劇俳優。本名高山徳右衛門。福岡県生まれ。1925年(大正14)築地(つきじ)小劇場に入り、『役(えん)の行者』の一言主(ひとことぬし)で好評を博す。29年(昭和4)新築地劇団を結成、その中心的俳優として活躍。第二次世界大戦後、共産党に入党。東京芸術劇場、新協劇団、中央芸術劇場(のち劇団中芸)を経て村山知義(ともよし)と東京芸術座を主宰。戦中・戦後は映画俳優としても活躍した。彫りの深い風貌(ふうぼう)で個性的な俳優。自伝『暗転』(1960)がある。
[祖父江昭二]
… 第2次大戦後,村山が再建にのりだし,46年2月には再建第1回公演を持った。薄田(すすきだ)研二,八田元夫(1903‐76)のほか,新派の井上正夫も一時期これに参加した。しかし〈50年問題〉といわれる共産党の内部抗争の影響を受け,1951年薄田,岡田英次ら演技陣の大量脱退者が出るにおよんで弱体化し,59年に薄田らの中央芸術劇場と合体して東京芸術座となった。…
※「薄田研二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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