西域(読み)せいいき(英語表記)Xī yù

精選版 日本国語大辞典 「西域」の意味・読み・例文・類語

せい‐いき ‥ヰキ【西域】

〘名〙 中国人の西方地域に対する総称。範囲は時代によって異なる。広義には中央アジア・西アジア全域、ときにはインドを含める場合もあるが、狭義にはタリム盆地東トルキスタン)をさす。漢代にはオアシス都市国家が分立し、西域三六国と総称された。通商・軍事上重要な意義をもち、漢は西域都護府、唐は北庭・安西都護府を設けて経営した。清代に完全に中国の版図にはいった。さいいき。
※続日本紀‐文武四年(700)三月己未「吾者往西域。在路飢乏」
※授業編(1783)三「三韓へはもと西域(セイイキ)より出でたるを伝へ学び三韓の諺文といふも西域の梵字にならひて」 〔漢書‐翟方進伝〕
[補注]用例の古いものは「さいいき」と読んだかも知れないが、便宜上本項にまとめた。「書言字考節用集‐二」には「西域(サイイキ)」とある。

さい‐いき ‥ヰキ【西域】

〘名〙 中国人からみて、中国の西方の地域に対する総称。せいいき。〔書言字考節用集(1717)〕

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「西域」の意味・読み・例文・類語

せい‐いき〔‐ヰキ〕【西域】

中国人が中国の西方地域に対する総称として用いた語。一般に、中央アジア西アジア全域、時にはインドを含めていう。狭義では、代に西域三十六国と総称されるオアシス都市国家が分立したタリム盆地をさす。中国と西方を結ぶ交易・軍略上の要衝で、漢代以降、都護府が置かれ、代に中国の完全な支配下に入った。さいいき。

さい‐いき〔‐ヰキ〕【西域】

せいいき(西域)

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「西域」の意味・わかりやすい解説

西域 (さいいき)
Xī yù

中国人が中国の西方に存在する諸地域を指して用いた総称。中国の〈西方の地域〉の意。〈せいいき〉とも呼ばれる。この語に含まれる地理的範囲は,時代時代の中国人の西方に関する知識の度合に応じて変化した。西域の語は《史記》には現れず,《漢書》西域伝を初見とする。《漢書》は西域を玉門・陽関以西,葱嶺(パミール)以東の東トルキスタンの諸地域と定義する一方,大宛国,大月氏国,罽賓(けいひん)国,安息国など,パミール以西の西トルキスタンアフガニスタンイランの諸国に関する記述をもその〈西域伝〉の中に収録し,定義と実際の記述内容とは必ずしも一致していない。つづく《後漢書》西域伝には,より西方の条支国(シリア),大秦国(ローマ)に関する記述に加え,天竺国などインドに関する記述すらも含まれる。また時代はもっと下って《明史》西域伝のごとくチベットをも含ませる場合もある。要するに,この語には大きく分けて狭広2義の用法があり,狭義ではパミール以東の東トルキスタンの諸地域を,広義では東・西トルキスタン,西アジア,インド,チベット,ヨーロッパ東部を含む中国西方の広大な地域を指す。日本では,前者の用法をやや拡大して,東・西トルキスタンないし中央アジアの意味で用いられる場合が多い。中国では,1884年(光緒10)の新疆省の成立以後,東トルキスタンを従来の〈西域〉と並んで〈新疆〉と呼ぶ場合が多い。

 歴代の中国王朝にとって西域はまず第1に匈奴に始まる北方遊牧民の活動を牽制するための軍略上の要地であった。このため歴代王朝は,李広利の大宛遠征のごとくしばしば遠征軍を送り,漢代の西域都護府,唐代の安西都護府(都護府)のごとき軍事基地を設けてその〈西域経営〉に努めた。第2に西域は,陸上交通路(シルクロード)を利用した中国と西方諸国との経済的・文化的交流のための要地であった。このため,中国商人たちが中国の物産を携えて西方に進出する(西域貿易)一方,〈西胡〉などと呼ばれた西方諸国の商人たちも〈朝貢〉という形をとって中国に来往し莫大な利益をあげた。彼らは同時に,宗教,美術,物産などの西方の文物を中国にもたらし,中国文化の多様化・国際化に貢献した。
シルクロード →中央アジア
執筆者:

西域 (せいいき)

西域(さいいき)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「西域」の意味・わかりやすい解説

西域【さいいき】

〈せいいき〉とも。中国人が中国の西方,つまり中央アジア,西アジア,時にはインドを含めた地域を指した呼称。狭義にはタリム盆地(東トルキスタン)を指す。タクラマカン砂漠の縁辺オアシスを中心に多くの遊牧国家が形成されたので,古くから〈西域三十六国〉と呼ばれた。オアシス縁辺の都市をつなぐ道を西域南道・北道と呼び,仏教をはじめ多くの西方文物がこの道を通って入った(シルクロード)。漢代以後,西域に対する北方遊牧民の侵入を防ぎ,東西貿易路を確保し,西域三十六国に保護を加えるため,中国王朝は西域都護府を置いた。
→関連項目新疆冒頓単于楼蘭

西域【せいいき】

西域(さいいき)

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

普及版 字通 「西域」の読み・字形・画数・意味

【西域】せいいき(ゐき)・さいいき(ゐき)

中国の西方諸国の総称。〔漢書、西域伝上〕西域は孝武の時を以て始めてず。本三十六國。其の後稍(やうやく)れて五十餘に至る。皆匈奴の西、烏孫(うそん)の南に在り。南北に大山り、中央に河り。東西六千餘里、南北千餘里。

字通「西」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西域」の意味・わかりやすい解説

西域
せいいき
Xi-yu; Hsi-yü

古代中国人が中国の西方にある国々を呼んだ総称。本来は東トルキスタンをさしたが,拡張されて西トルキスタン,さらに西アジアをもいう。中国の西方の国々が記録のうえに明確に現れたのは『史記』の大宛伝が最初であるが,ここには西域の語はみえない。『漢書』にいたって初めて西域の語が現れ,西方の国々のことを記した西域伝がつくられた。この西域伝では西域の地理について「南北に大山あり,中央に川あり,東西六千余里,南北千余里」と述べているので,タリム盆地,すなわち東トルキスタンをさしていることは明らかである。しかし,『漢書』西域伝には東トルキスタンの国々ばかりでなく,西トルキスタン,インド,イランなどの国々についても記されている。その後,中国歴代の正史のいくつかは西域伝を載せているが,その地理的範囲はすべて『漢書』と同じである。ただし近代では西洋を西域といったこともある。

西域
さいいき

西域」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「西域」の解説

西域(さいいき)
Xiyu

「せいいき」ともいう。中国人がその西方地域を総称した言葉。その範囲は各時代の西方に関する地理知識や政策状況に応じて一定しない。漢代ではタリム盆地オアシス都市国家群を西域36国と総称した。広義には中央アジア,西アジア全域,ときにはインド,エジプトも含める。中国王朝にとって,西方との通商上,北方遊牧民に対する軍略上,西域の持つ意義は重要であり,漢では西域都護府,唐では北庭都護府安西都護府によって西域を経営した。19世紀末以降の中央アジア探検は,多くの資料を発見し,西域文明の様相が解明されつつある。

西域(せいいき)

西域(さいいき)

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「西域」の解説

西域
さいいき

中国人が古くから中国の西方地域を総称した名称
狭義には東トルキスタン(現在の新疆 (しんきよう) (シンシヤン) ウイグル自治区)のオアシス都市群をさし,漢代以後,東西交通・文化交流の中心として,中国の諸王朝と北方遊牧民族の争奪の地ともなった。特に漢・唐は西域貿易の確保と遊牧民のけん制のために,熱心に西域経営を推進した。なお広義には,中央アジアからペルシア・小アジア・シリア・エジプト・インド・チベットまで含めることがある。

西域
せいいき

さいいき

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の西域の言及

【西域】より

…この語に含まれる地理的範囲は,時代時代の中国人の西方に関する知識の度合に応じて変化した。西域の語は《史記》には現れず,《漢書》西域伝を初見とする。《漢書》は西域を玉門・陽関以西,葱嶺(パミール)以東の東トルキスタンの諸地域と定義する一方,大宛国,大月氏国,罽賓(けいひん)国,安息国など,パミール以西の西トルキスタン,アフガニスタン,イランの諸国に関する記述をもその〈西域伝〉の中に収録し,定義と実際の記述内容とは必ずしも一致していない。…

※「西域」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android