精選版 日本国語大辞典 「西域」の意味・読み・例文・類語
せい‐いき ‥ヰキ【西域】
さい‐いき ‥ヰキ【西域】
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中国人が中国の西方に存在する諸地域を指して用いた総称。中国の〈西方の地域〉の意。〈せいいき〉とも呼ばれる。この語に含まれる地理的範囲は,時代時代の中国人の西方に関する知識の度合に応じて変化した。西域の語は《史記》には現れず,《漢書》西域伝を初見とする。《漢書》は西域を玉門・陽関以西,葱嶺(パミール)以東の東トルキスタンの諸地域と定義する一方,大宛国,大月氏国,罽賓(けいひん)国,安息国など,パミール以西の西トルキスタン,アフガニスタン,イランの諸国に関する記述をもその〈西域伝〉の中に収録し,定義と実際の記述内容とは必ずしも一致していない。つづく《後漢書》西域伝には,より西方の条支国(シリア),大秦国(ローマ)に関する記述に加え,天竺国などインドに関する記述すらも含まれる。また時代はもっと下って《明史》西域伝のごとくチベットをも含ませる場合もある。要するに,この語には大きく分けて狭広2義の用法があり,狭義ではパミール以東の東トルキスタンの諸地域を,広義では東・西トルキスタン,西アジア,インド,チベット,ヨーロッパ東部を含む中国西方の広大な地域を指す。日本では,前者の用法をやや拡大して,東・西トルキスタンないし中央アジアの意味で用いられる場合が多い。中国では,1884年(光緒10)の新疆省の成立以後,東トルキスタンを従来の〈西域〉と並んで〈新疆〉と呼ぶ場合が多い。
歴代の中国王朝にとって西域はまず第1に匈奴に始まる北方遊牧民の活動を牽制するための軍略上の要地であった。このため歴代王朝は,李広利の大宛遠征のごとくしばしば遠征軍を送り,漢代の西域都護府,唐代の安西都護府(都護府)のごとき軍事基地を設けてその〈西域経営〉に努めた。第2に西域は,陸上交通路(シルクロード)を利用した中国と西方諸国との経済的・文化的交流のための要地であった。このため,中国商人たちが中国の物産を携えて西方に進出する(西域貿易)一方,〈西胡〉などと呼ばれた西方諸国の商人たちも〈朝貢〉という形をとって中国に来往し莫大な利益をあげた。彼らは同時に,宗教,美術,物産などの西方の文物を中国にもたらし,中国文化の多様化・国際化に貢献した。
→シルクロード →中央アジア
執筆者:間野 英二
→西域(さいいき)
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字通「西」の項目を見る。
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「西域」のページをご覧ください。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
「せいいき」ともいう。中国人がその西方地域を総称した言葉。その範囲は各時代の西方に関する地理知識や政策状況に応じて一定しない。漢代ではタリム盆地のオアシス都市国家群を西域36国と総称した。広義には中央アジア,西アジア全域,ときにはインド,エジプトも含める。中国王朝にとって,西方との通商上,北方遊牧民に対する軍略上,西域の持つ意義は重要であり,漢では西域都護府,唐では北庭都護府,安西都護府によって西域を経営した。19世紀末以降の中央アジア探検は,多くの資料を発見し,西域文明の様相が解明されつつある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…この語に含まれる地理的範囲は,時代時代の中国人の西方に関する知識の度合に応じて変化した。西域の語は《史記》には現れず,《漢書》西域伝を初見とする。《漢書》は西域を玉門・陽関以西,葱嶺(パミール)以東の東トルキスタンの諸地域と定義する一方,大宛国,大月氏国,罽賓(けいひん)国,安息国など,パミール以西の西トルキスタン,アフガニスタン,イランの諸国に関する記述をもその〈西域伝〉の中に収録し,定義と実際の記述内容とは必ずしも一致していない。…
※「西域」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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